〈テープ起こし〉2/28シンポジウム「町家の活用と観光、そして三国のこれから」
先日2/28に開催しましたシンポジウム「町家の活用と観光、そして三国のこれから」のテープ起こしを掲載いたします。ボリュームがありますが、多くを学べたシンポジウムでしたので、どうぞご一読ください。
第1部 プレゼンテーション
「美しい日本、そして三国の将来を考える」アレックス・カー氏(VISIT JAPAN大使/東洋文化研究家)
「リノベーションで新しい空間の物語はつくれるか」馬場正尊氏(建築家/株式会社OPEN A 代表取締役/東北芸術工科大学准教授/東京R不動産ディレクター)
第2部 対談
「町家の活用と観光、そして三国のこれから」
アレックス・カー氏×馬場正尊氏
コーディネーター:倉橋宏典氏(一般社団法人三國會所)
第1部 プレゼンテーション
「美しい日本、そして三国の将来を考える」アレックス・カー氏
アレックス:ご紹介、どうもありがとございました。
実は、昔、学生時代に日本を一周したことがありまして。いつでしたっけ?1971年ですから、今より何年前になるのかな。44年前ですね。ちょうど東尋坊を回って三国に来たことがあったんですね。それから、たびたびこちらの方を経由したことはありましたけれども、真面目に出入りして、いろんなところ、古い町の町家の状態だとか、景観がどうなっているかをきちんと見るようになってきたのが2年前くらいからですね。それから、三國會所さんが次々に広げようとしている事業に関わって、いよいよ町家再生で宿泊施設が2つ生まれるわけですね。多分、オープンは今年の夏以降になると思います。ちょうど今日の会合の前に見てきて、今解体工事をやってる最中です。今日は今までのこと、これからのこと含めて、特に観光面で町家を使ってどんな再生ができるかという観点から入ってきたいと思います。ちょっと時間が限られているわけですから、話を2つに分けて持ってまいりました。
第一部はですね、私たちがこれまで関連してきた前例ですね。町家とか古民家をどんなふうに直せばきれいになるか、お客はどんなニーズがあるかということをちょっと映像でもってお見せしたいと思います。
古民家再生というテーマなんですけれども、私は若いころ、20歳くらいのころから四国の祖谷というとこに入って、古い茅葺き民家を買って、そこでいろんな活動をやってまいりました。その後京都で、京町家を10軒ほど直していろんなことをやってきたんだけれども。要は、簡単に言いますと、ヨーロッパ、アメリカ、アジアのバリ島では、ヴィラレンタル、つまり別荘レンタル、一軒、一棟貸しという形で、古い古民家を観光客に貸す、泊まってもらうという形態の商売が、だいぶまえ、半世紀も前からきちんと成り立っているわけですね。フランスのプロヴァンスとかイタリアのトスカーナとか、バリ島とか行きますと、そういう家はゴロゴロありまして、やはり観光客は、どこかに行くとホテルばかりじゃないですね。どこか人の家に泊まるとか、古い昔の家はどんな感覚なんだろうという思いが、好奇心もあるし、そういう古い物が持つ素材感、石とか木とか、瓦、そういうものにロマンがある。京都で京町屋を直して観光客に提供し始めたのが、もう10年以上前ですけれども、そのころは京都人はみな駄目だと言っていましたね。失敗するよと。日本人の観光客はフルサービスの伝統的な旅館、それかシティーホテルの楽な部屋、そういうステイしか慣れてないので、京町家を直してお客を呼んでも来ないんだよ、と言われましたね。それだったら、外国人は世界でそういうのに慣れているから、外国人目当てにしようということから始まったんだけど。あの京都の会社を辞めたのは5年前ですけれども、その時点ですでに日本人が7割から8割ですね。つまり、潜在的なニーズが日本人にあるということを、それで確信できました。京都は京都で、ある意味で町家事業で成功したけれども、京都は天下の観光地で、ある意味で何やったって大丈夫なんだよ、本当に。地方の方がチャレンジ。それで同じようなことが、ヨーロッパやアメリカの田舎で結構頑張ってる地方が成功してるところがたくさんあるから、日本でやってみようという気持ちになって、日本各地の地方で同じような事業を広げようとしています。
まずひとつ紹介したいのが、この小値賀です。小値賀町。長崎の沖合にあります。これは佐世保にあるんですね。佐世保からフェリーで約2時間離れているところ。大変遠い、不便、しかしとってもかわいい漁港があって、隠れキリシタンの歴史があって、丘の上に天主堂がある。つまり、お客を引っ張れるひとつの引力のある美しい神秘的な島ですね。これまでは民宿民泊があるからバックパッカーは間に合ったかもしれないけれど、もうちょっときれいな宿泊がしたい人たちには本当に泊まるところがなかった。日本の田舎はほとんどそれが言えると思いますね。
ちょっと話が飛んじゃうんですけれども、私たちは徳島の祖谷で同じような古民家での宿泊をやってますけれども、うちの客はどのぐらいの割合かわかりませんですけど、かなり多いシェアは女性なんですね。彼女たちは洒落た美しく快適なところでないと、なかなかやって来てくれない。なおかつ、例えばこの小値賀まで行こうと思ったら、それは東京から同じ時間とお金で簡単にホノルルに行ける、韓国に行ける、バリ島に行ける。下手すると、このごろの安い飛行機でパリまで行けるかもしれないよ。小値賀に行くより安く。そうしたらね、ちょっとユニットバスを入れたらそれでいいんだ、という程度ではないんですね。世界が競争相手で、世界のどこに行ってもこれほどきれいなところはないんだという素晴らしい美しさ、プラス快適さをこういう家に取り入れないと、お客なかなか遠い辺鄙な地域まで来てくれないですね。
小値賀の場合は空き家がいっぱいありまして、私たちは小値賀アイランドツーリズムのプロジェクトとして、宿泊7軒、レストラン1軒を直しました。見つかった当時は本当に汚らしいんですよ。ぼろぼろ。床が落ち潰れて、雨漏りで。こんなようなところが、こんなに直ります。ここは一見してみると立派な日本座敷なんですけれども、意外と目に見えない工事が非常に大事で、やはり電気系統、水回り、冷暖房とか照明器具、そういうものを全部きちんと新しくして、快適にもっていくんですね。ここは、大きな文化庁とか文化事業として直す家との大きな違いがある。その場合、多くの場合は、例えば田舎へ行くと、何何邸とかが必ずある。それは、文化財、資料館、永遠に死んだ場所ですね。人が住めない、コンセント一つ替えられない。けれども私たちは、江戸時代がこうだった、明治時代がどうだったというのは、ある意味ではどうでもいいんですね。学芸員じゃないし。例えばフランスやイギリスの古い町に行くと、家は昔の構造なんですけれども、あの家のなかで皆がしてしてる生活ぶりは全く今の時代のものですね。つまり古い家を今に引っ張ってきたり、今のものにしたりというのが、私たちのやり方です。そしたら、同じように素晴らしいこの座敷の横に、日本人が畳に座らないね、もう。外国人になってしまったね。そしたら、横にこんな堀こたつ敷きのリビングを作りました。意外とそれが成功しすぎて、お客さんが寝る時が以外、きれいなお座敷にあまりいなくて、ここばかりに集まるんですね。
ここは別の家ですけれど、ちょうど馬場さんが行って、この家に泊まったと思います。たまたま。今日聞きました。結構パズルのようなことがあって、ここに柱があるからテーブルが作れないと言われたけれども、作っちゃったね。こんなウッドデッキをつけたり。もちろんトイレやお風呂は美しくしないといけない。こういう家から山ほど小道具が出てくる。道具類、桶とか箪笥とか、水屋、壺屋、そういうものがたくさん出るんですけども、こうして置いているとジャンクにしか見えないけれども、きれいに磨いて、元に戻して、元の美しさが光って見える。もう一軒、直したものに、藤松家という立派なお屋敷がありました。それには、やっぱりレストランを作りましたね。特に今は、京都だったら町家から一歩出れば、飲み屋やレストランがどんだけあるか。全くお客は不自由しないけれども、小値賀みたいな離島、夜7時半になったらしーんとしていて、どこもない。そうしたらどこか食べに行きたい。これは改造中ですね。修理中で、こんな広いお座敷があって、どんなことができるかと。7メートルの銘木を東京から運んできてドンと入れました。この下も掘りごたつ的になっているから足を降ろせるんですね。そうしたら、これが一気に人気スポットになりました。周りの構造、柱、部屋の空間感覚からいろいろな構造を、全く変えていないですよ。昔のままなんだけど、現代的センスをどこかに入れました。2階の天井裏のスペースが、初めて上がった時はこうでしたけど、こんなワインバーに変わりました。特に小値賀みたいなところへ行くと、夜はちょっといい雰囲気の中でくつろぎたいなというスペースが欲しいんですね。夜の藤松家です。
一方、私の本拠地であるこの祖谷は、実はちょうど1971年に日本を一周した時、東尋坊にも来た時代に、この祖谷にも行ったんです。当時は一種の桃源郷探しというか、すごいロマンを追求した時代で、ついこのおとぎ話というか、この世でないような不思議な場所と巡りあいました。祖谷というんですね。この場所です。これが四国で、これが高松、高知。このど真ん中に祖谷があって、日本の一番深い渓谷です。もっと高い山はありますけれども、険しさでは日本一だとされ、日本のグランドキャニオンと言われてますね。谷間が深くて、向こうに一軒というような感じで、本当になんとも言えない仙人の世界。このように霧がものすごい早さでワーッと上がってスーッと消えて、またフワーっとくる。なんというか、縁側に座って、霧の湧き上がってくることを見ているだけでも、お芝居を見ているような感じですね。73年に、こんな家を見つけて買いました。屋号をつけて。その時から僕は直す家に対して屋号をつけようということですけれども。?庵(ちいおり)。?は笛のことです。?庵(ちいおり)という名前をつけて、あれからずっと現在まで、この家を中心にして活動してまいりました。この家は元禄時代。家は300年ですけれども、ある意味で1000年2000年、ひょっとしたらに1万年前の日本の古い生活が見えるんですね。畳とか、稲文化とか、それはないんですね。祖谷の場合は板の間。黒光りしていて、囲炉裏は残ってますから、囲炉裏の煙で真っ黒になってますね。それで煙たくなっているのが分かりますね。漆で塗ったぐらいに真っ黒。梁とか桁とか屋根まで全部真っ黒ですね。そしたら、この?庵(ちいおり)の場合は、従来の感覚では、観光は考えられないよね。まず有名でない、そして遠いので不便。日本では不便は絶対あっちゃいけないことです。不便だと言うと、それは致命的だとされてますけれども、祖谷は極めて不便ね。一番近い駅から1時間以上ですね。?庵(ちいおり)まで。実際に僕が?庵(ちいおり)を見つけた時は、道路から1時間歩かなければならなかった。細い山道で。アクセスは今でも非常に悪くて、くねくねするような細い道路で山を上がっていかなければいけない。そんなところにお客が来るはずがないのだけれども、この 20年間で3万人ぐらいの宿泊と見学者が来たんですね。四国で非常に稀なミシュランの星までいただいちゃった。そのなかに数10カ国の外国人も来たんですね。彼らはなんでこんなようなところに来たのか、徳島県が不思議に思って聞きにきたんですね。返事はこれですよ。何でもない魅力。これは町並み再生に大きな意味を持つ、自分なりの表現ですけれども。要は、これまでの観光促進とかでは、何かでかい駐車場作りましょう、歓迎ホールを作りましょう、美術館を作りましょう、水族館を作りましょう、そういう大きな建造物、ピカピカしたすごいものを作りましょう、ということがどうしても多いんですね。しかし、例えばパリに行ったことがある方もいると思うんだけど、ルーブル美術館を見た後、だいだい美術館はそれで十分だと思うね。よほど美術の勉強の虫でなければね。あとは、パリの裏路地をちょっと歩きながら、パリの空気を吸うのがパリロマンだよね。そういう意味で古い町の町並み、何でもないような町家がきれいに並んでいて、そういうものが意外と喜ばれるものですね。祖谷の場合は、本当に自然そのもの。昔の文化がそのまま残っている。うちの客の場合は、いろんな体験プログラムをしてあげるよとか、いろんなオプションメニューが宿泊にあるんだけど、彼らは何もいらない。この辺に座って本を読んでいるだけで十分だと言うお客が多いんですね。つまり、これで充分なんだよ。祖谷の雪。囲炉裏を焚いてますから、屋根がちょっと暖かくかくなって、雪が屋根についたところで、溶けてこんなツララができる。祖谷の冬なんですけれども。
最初、本当に学生時代、40年以上前に、祖谷のこの一軒を買いました。それから、どんどんどんどん過疎化されて、今は限界集落ですね。合併されて三好市という自治体となったんですけれども、何とかしなければいけないということで、今度、落合という、同じ祖谷ですけれども、うちから走って40分ぐらいの別の集落に、一つの事業が起きたんですね。桃源郷祖谷プロジェクトという、三好市がスポンサーで、これは8軒ほど。ここは江戸時代の茅葺きの家が18軒ほど残ってるんですけど、これで見ると茅葺きの家はほとんど見られないんですね。というのは、みなトタンになってしまいました。そのうち少なくとも8軒を茅に戻して、そして宿泊施設にもっていこうという事業で、6軒はすでに完成して、最後の2軒は3月いっぱいで完成されます。
最初に決めた家は、落合の一番上の方で、高度900メートルですね。高い。高所恐怖症でしたら、こんな場所にはいられないね。最初に決まった家がこれでした。ボロ屋ですね。でも、これをきちんと江戸時代の骨組に戻して、傾いてますから屋根を作り上げていって、茅をつけて。ここでもうひとつ肝心なのが、古民家再生とかこういうものは宮大工だとよく思われがちですね。もちろん茅は祖谷の文化ですから、必ず茅葺きにしますけれども、このへんは新建材ですね。防水材。その上に杉皮を貼る。家の中は、床下は床暖ですね。天井のなかに断熱材。つまり、古い家だから古いものばかりだということではないんですね。
ちゃんと現代的な技術を取り入れて、非常に快適な空間にする。出来上がりましたら、本当に祖谷の昔の板張りの座敷とそっくりなんだけど、まだ見えないところに床暖、電気系統、水回りは全部直りました。こういうところは、三国も寒いので、ちょっとコストはかかるけれども、全面ペアガラスにしてるんですね。今直している家は。ここもペアガラス。ペアガラスは本当に断熱効果が強くて、全然違いますね。こういうところも結局床に座らないんだよね、皆さん。座るんだけれども、ずっとそっちにはいられないかもしれないので、すぐ横にちょっとした炊事場も付けて、朝はここに座って珈琲を飲みながらくつろげるスペースができます。そうしたら、こんな家がこうなりました。ちなみにこの家の屋号は「浮生」でしたね。浮く人生です。
次に2軒ほど。祖谷の場合は昔の伝統が必ず母屋、隠居という、ペアで家が作られているわけです。これが典型的な母屋、隠居。それに晴耕雨読という屋号をつけました。雨読の方は本当に小さくて、家の中はちょっと洋的な、ソファを入れてこういうスペースにしました。?庵(ちいおり)は何万人も来たし、たくさんの宿泊客もいたけど、今になれば言えるかもしれないけど、不法行為ですね。ちゃんと建築基準だとか旅館業法とかになってなかったので、それは今度?庵(ちいおり)の方も大改修をして、きちんと簡易宿所としてやっていこうということも決まって。これが3年前ですけど、全部床も引き上げて。傾いてましたので、チェーンを付けて半年間ほどギューっと引っ張って垂直に戻すんですね。そして床下工事をやって、葺き替えしました。そうしたら、こんな?庵(ちいおり)がこうなりました。これもペアガラスで、本当に暖かい。これで出来上がったので、従来の構造とか素材は本当にそっくりで、板も元禄時代の人ですから、皆番号をつけて元に戻しました。しかし、床下は断熱材、囲炉裏の周りは床暖なんですね。そしたら寒い冬にあの辺りに座ると、本当に気持ちがいい。裏側にきちんとしたトイレ、お風呂、炊事場やキッチンとか。茅葺きイコール江戸時代に戻りましょうというのではないんですね。今の生活ができるような場所にしました。ちなみに、必ず地方でこういう事業をやりますと、地元の方でこんな何もないところにお客が来るのかと言われます。祖谷は去年の夏、台風でちょっと閉鎖しなければいけない時期はあったけれど、ほとんどびっしり、予約が取れない。小値賀はそこまでいかないかれど、それでも8割から9割だと思います。冬は厳しいけどね。つまり、こんな不便な場所、祖谷も小値賀もとっても不便。それでも、調べたらうちの客の3割近くが東京から来ているんですね。関東から祖谷まで来るということは、そういうものが美しくて快適で、心地よく滞在出来るような、そういう施設があれば来てくれるんだということがはっきりされていますね。
今いろいろ関わっているプロジェクトをサッと紹介したいと思います。一つは宇多津という、香川県のこの場所にあります。瀬戸大橋が辿りつくのが宇多津で、宇多津はお遍路さんのお寺があって、古街という古い旧街道があるんですけれども、日本のどこでもそうなんだけ、どんどんやっぱり変になってくる。壊されて駐車場になったり、歯抜けになってしまうんですね。それを何とか止めようということで、町が一番要的なコーナーを2軒ほど買った。江戸時代の和的な、古い日本的な建物と、昭和初期のハイカラな、少し洋的な建物を2軒買って、私たちが直しました。和的な方はお座敷がきちんとあって土間があるんですね。天井裏はベッドで。洋的なスペースは、どちらかというとお座敷をストンと板の間にしました。テーブルとかソファ。町長さんが大きなお風呂をとにかく作ってくれというので、いつもより立派なものが出来たんですね。
地域によってちょっと形とかニーズが違う。今度、十津川村というところがある。あれは、和歌山、三重、奈良の県境、本当に超不便な場所にあるんですね。奈良は便利そうに聞こえるんですが、奈良市から3時間ですね。こんな山奥にある。これは祖谷に負けないくらいの秘境ですね。こんなような。熊野古道の一部ですね。そっちを通っています。熊野古道ですから客は来ていることは来ていますけれども、本当に泊まるところがない。それで、山の上の集落に、この家を2つに分けて2軒作りました。もともと近くの小学校の先生の宿舎でしたね。これは山小屋的に直して、こんなウッドストーブを入れました。
もう一つ抱えているのが、九州の大分県の竹田。豊後竹田という町ですね。福岡、別府、大分。この竹田はだいぶ内陸で、阿蘇山に近いんです。ここに岡城という荒城の月で有名なすごい城があるんだけども、やっぱりかなり過疎化されている。あそこは若者にどんどん来てもらってるんですね。芸術家とかアーティスト。廃校になった中学校を彼らに本拠地として与えている。私たちがそのアーティスト、例えばこの村瀬さんという、結構京都でこのような不思議なこういうものを作っている人。彼を竹田へ連れて行って、アート事業もやっています。というのは、建物を作る、それで終わりというのではないんですね。いろんなソフトの面で、そのあとの対談の時に話していいと思うんだけども、PRだとイベントとか、アート関係とか、そういうのをやっぱりどんどんやっていかないといけない。
最後、ここのすぐ近く、三国から走ってすぐにある橋立、加賀市。県境を越えるけれども、橋立にうちの?庵トラストのNPOの理事の1人が、素晴らしい船主の屋敷を購入して、それを今直そうとして、それも今後観光客のために営んでいこうということになります。できれば、ぜひ北前船関係で、ここの三国の事業とリンクできればいいなと思います。これね、皇族を迎えるために作られた。こんな立派なすごい床の間があるんですね。
これまでの前例、例えばこういうのものを各地でやってます。要は、ちょっと三国に行ってみようとか、東尋坊をちょっと見たかったとか、その辺りを少し回ろうと思う人たちは、必ずネットで調べる。例えばこのごろ祖谷に来てる人たちは、祖谷のことをそんなに知らないみたいですね。いろいろ聞いていたら。こんなきれいな宿があって、それが祖谷だったとかということ。昔は違うんですね。どこか有名観光地に行きたい、そしたら宿を探そう。今は宿がまず魅力的で、それから、それでヒント得て、じゃあその周りを回りたいということになる時代です。
これまでの話は、私たちが関係してきたいろんな事業ですね。三国の場合は、ちょっと祖谷とか小値賀と違って、東尋坊というすごい観光客を引っ張ってくる引力があるものがあるんですね。そして、金沢とか大阪とか京都とかに行くにはとっても楽なんで、いろいろな意味で恵まれてると思いますね。立地的に。そんなにすごい田舎じゃないし、都会ですしね。いろんな意味で恵まれているわけですけれども、まだまだ。ごく最近になって三國會所さんとかが働きかけて、その三國湊を何とか活性させようという動きが、もう本当に最近になって活発になったと思います。
まず北前船。これも後で対談で話したいんだけど、北前船というのはやっぱり日本海からずっと北海道まで数十ヵ所いろんな港があって、そのなかで三国はもうトップ5に入るくらい上ですけれども。各地に北前船の資料館だとか古い町とかが残ってますけれども、ほとんど連携されてないね。三国では、あるいは福井では北前船、北前船と、皆さん嫌になるくらいたくさん聞きつくされたというか、もううんざりと思うくらいでしょうね。けれども意外と、一般の人には知られてない。僕が橋立のさっきの船主の屋敷に初めて見に行ったのが、6年前だと思いますね。その時に、北前船という言葉を初めて聞きました。これほど大学で勉強して、日本のことをよく知ってる自分が知りませんでした。ほとんどの日本人も知らないかもしれないね。ですから、まだまだ北前船ストーリーをもっと強く持ってきて、もっとそれに三國湊のことを取り入れてやっていく可能性が随分あると思いますね。このような船でした。ここの龍翔館にモデルがあるんですね。これで見るとね、ちょうど三国がちょうど真ん中あたりですね。必ず、どの地図を見ても三国がまずメインの一つとして必ず出る。こんなような、いろんな港がこんだけあったよ。そのなかに、三国がメインの一つとしてある。
いろいろ山ほどあるんですけれども、青森ですね。たまたま私は仕事の関係で酒田に行ってるんですね。山形に。あそこは、三国もそうでしたけれど、必ず湊を出ると花街があるんだよね。そこに昔の茶屋を直して芸者さんを復活して、そういうこともやろうとしてる。でもちょっと下がってくると、高岡ね。あと、富山。こういうようなものが、どんどんあるわけですね。橋立。橋立もなかなか立派な町並みが残っています。そういうものと連携すると、初めて北前船ストーリーというか、北前船めぐり、そういうものが生まれると思いますし、三國湊はそのなかで中核的な存在ではありましたので。例えば、こんな昔はね、何とか番付が人気なんですね。相撲だけじゃないから。もうトップ5だったと思うね。三国がどんと上の方にきている。明治時代に、こんなに栄えていたわけです。つまり、そういう栄えていた時代があったから龍翔館ができたり、川を挟んでまだまだ古い町並みが残っています。昔の地図が意外と本当に変わっていなくて、これが龍翔館にある模型なんだけど、今でもほぼこのままだと思います。そして、きたまえ通りの風景がきちんと残っている。もちろん森田銀行。あと散策コースですね。ちょっと出て散歩していろんなものを見る。そういうこと必ず大事なので、まず旧森田銀行がきちんと整備してあるということは非常にありがたいですね。これ、三国の昔の花街でしたね。これが、今から半世紀も前の三国の写真ですけれども。こうして見ると、ほぼ同じ場所だと思うんだけども、そんなに変わってないね。こんな立派な建物が残っています。音楽の先生で、頑張って家のなかをこうしてるわけですね。ここはアイスクリームで、かなり人気あるお店ですよね。こういう古い町を、なんでもない魅力とさっき言いましたけども、こういうことがそうなんですね。ちょっと歩いて。屋根組みとか、この辺の造りは独特のものがありますね。これは「うだつ」と言うんだけども、この越前、越後、特に三国の独特のスタイルがきちんとあって、それを見る楽しみ一つで町は面白いんでね。ここにもこういうのが見えるんだね。杉焼きの塀とか、山車の格納庫ですね。古いままの建物があちこちに残っている。お店まで、中の木箱が昔のままで、非常にこれが懐かしくて楽しかったんだ。入った時、楽しかったね。けれども、やっぱり空き家が多い。しかも、ほぼ打ち潰れたようなところがある。これは外面はまあまあなんとか見えるんだけど、中に入るとこんなんですよ。廃墟。潰れかけています。放っておくとこうなってしまう。
町屋再生の目的は2つあるんですね。一つは、つまり経済的な活性化。そして人が入ってくる、人が生活する。どんどん過疎していくことに対する対策。もう一つはやっぱり文化面。この家は立派なお屋敷だったですね。すばらしい家でした。けれども、これでもう、たぶん壊すしかいかないだろう。ここまで潰れてしまうと、どうにもならない。つまり文化財が消えてしまった。昨日今日のニュースで、イスラム国、ISの彼らは文化財を壊してるんですね。それに世界の人たちがみな驚いてるけれども、こういうのを放っておいて何もしないというのは、ある意味で同じ行為、つまり文化財を壊していることになる。ですから、こういうものは残して、そして残したままで活性化されたというのが町の課題だと思います。
これは三國湊の町家館ですね。そして旧森田銀行。もうちょっとアップしますと、町家館、旧森田銀行、そこに田中薬局という、ちょっと大きな空き家があります。ここ三国の町家活用プロジェクトの一つとして、取り入れられてる。田中薬局だけじゃないです。数カ所。また学生たちも取り組んでやっているところもあります。金物店とか、三國湊座の表はレストランになっているんですけれども、裏側はまだガランとしていて、これからどうしようというプランを練ってるわけです。そういういくつかの物件の中で、我々はこの田中薬局という細長い物件を直そうとしています。これを横から見ると、これがメインで、これが通路で、蔵2つ、そのような造りです。しかし家の中は、さっき小値賀の写真をお見せしたように、こんなにお荷物がぎっしり入っていて大変です。これがお庭の方です。
まず、こういう家を直すときの第一歩というのは、荷物を運び出すこと。とにかく全部出しちゃって。さっきの、ちょうどこの辺がこうなっちゃうんですね。これが最初に入った時のキッチン、土間。今ちょうどこうなってるんですね。今というか、ちょっと前まで。そして床もひかれて、床下はどうなってるかを検査をする。ここまでやっている。今日行ってきたら、本当に今度解体工事が始まってる。というのも、この家ごと50センチぐらい動かすんですね。道路に近すぎるわけですから、動かすくらいのことをしないといけない。ここで、もう柱ぐらいしか残らない。蔵の方は、この後ろの方の蔵は本当に立派なので絶対残したいけれども、手前の蔵はそれほど古くもなかったし、それを壊してしまう。もともとの形は入り口から通路、蔵、蔵。それを入り口と、こっちの蔵を壊したので庭を広くして、この蔵を生かす。建物はさっきの十津川村もそうでしたけど、2つに分けて使います。この蔵を宿泊の施設のなかにも取り入れるわけです。玄関はこれで、今度は入り口が2つになりますね。2つに分けたからといって、売り終わって2がそっくり、AとBが同じというわけではないんですね。ひとつが大きい、ひとつが小さい、ひとつが大きな畳の座敷があって、ひとつはそれがないけれど蔵がある。つまり変化をつけて、ちょっと違ったふうなものになります。
どれだけ大変な仕事かが、この図で少しうかがえると思うけれども、こんな屋根の骨組みから床下の構造から、全部検査しないといけないですね。蔵のほうは、こんなふうにいろいろな道具類とか素晴らしいものがいっぱいあったんだけれども、それを廃校になった小学校か中学校に持っていって、今保管されているわけです。おびただしい量が出てきたんですね。どこまで使えるかというのが疑問なんだけども、使えないものは他の企画、あるいは町家とか空き家とかにどんどん使ったらいいなと。つまり三国の財産ですね。このような立派な箪笥とか看板とかですね。いろんなものがあるね。蚊帳、行灯、着物。こういうものを、残念ながら完成図がないんでどんな雰囲気になるかというのをちょっとお見せできないけれども、小値賀から借りて、小鹿の場合は古民家から出てきたこういうような物をきれいにこうして飾っておきました。家の中の空間も、次も小値賀ですけれども、ちょっと違った雰囲気ですけれども、三国もこのような雰囲気になり変わっていくと思います。具体的に観光客をどう呼べばいいとか、これからどうように運営していこうとか、もっと他の面で三国が景観的に何ができるかということを、次に馬場さんと対談しながら話してきたいと思います。どうもありがとうございました。
「リノベーションで新しい空間の物語はつくれるか」馬場正尊氏
馬場:こんにちは。Open Aの馬場と申します。メインの仕事は、建築の設計。ただ最近は、それからちょっとずつ派生して、新しい町の町づくり、町の再生のようなことを仕事にしています。今日のタイトルを、リノベーション、それによって空間の新しい物語が作れるかというふうにしてみました。古い建物を再生することを、リノベーションというふうに言います。今日は、まず前半に、自己紹介がてら今までどういう古い建物を再生してきたかということをお話して、その後に、この三国でどういう可能性があるのか、それから、もしかするとこの三国のプロジェクトに参考になるかもしれないと思える、僕の育った故郷、佐賀県佐賀市、そこで行われているプロジェクトについて紹介をしたいというふうに思います。
僕、OpenAという建築の設計事務所をやっています。こういう郊外の一軒家の設計なんかも結構やっているんですけれども、この10年特に力を入れたのは古い建物の再生です。古い建物といっても、この三国にあるような木造の味のある建物というよりも、東京の都会にある、コンクリートのどうでもいいような建物のボロボロのやつをなんとか使えるようにする、というタイプの再生が多かったです。最近は工業空間の再生なんかを始めているところなんですが。普通の建築や設計する人とたぶん一番違うであろうというところが、東京R不動産といって、不動産仲介のウェブサイトを10年前にふとしたことで始めることになりました。なので、設計もやっているんですが、不動産の仲介も一緒にやっているというところがポイントです。でも、それが町の再生に大きく関わってきます。なぜかというと、この経済のもと、デザインだけで町がなんとか変わっていくというほど甘いものではないってことがわかってきます。やはり経済とか不動産とか空き物件とか、そういうものをどうやって新しく再流通させていくかということ自体、それ自体が実はデザイン以前にものすごく大きいスタートになるということが徐々に分かってくるんですけれども、こういうことを始めています。そしてですね、僕の事務所のいわゆるビフォーアフターのビフォーですね。古い建物の再生をやり始めたきっかけです。設計事務所なんかをやっているので、普通のところじゃなくてちょっと変わったところを事務所にしたい。お金もないので、できるだけ安いところを探して、見つかったのがこれですね。僕がまだ30歳ちょいくらいの頃なんですが。東京の神田、都会のど真ん中の裏路地にある駐車場でした。これをすごい安い金額で借りて、リノベーションします。再生します。ビフォーアフターですね。何をやったわけではないんです。白く塗っているだけ。でも、それだけも随分風景が変わるというふうに思いませんか?これ2階なんですが、倉庫だったんですね。あそこの壁もなかったんですが、どんとぶちぬいて、白く塗ってからガラスをはめる。それだけで空間が見違えるようになる。しかもこれは、お金があんまりなかったので、多少借金して、水道ガスもなかったので入れるわけですけども、これをやりながら古い建物の再生のきっかけみたいなものをつかみます。そして、その面白さみたいなものを感じることができます。これをやっている時に、この東京R不動産というウェブサイトのことを思いつくんです。町の不動産屋さんに、自分で物件をリノベーションしたいと。そのころはリノベーションという単語もないんですが、再生したい、改装したい、改造したいと。「これを全部塗り潰そうと思っている」と言うと、町の不動産屋さんは「え?」とか。「現状復帰義務とかあるから、そんな勝手に塗られてもね」というようなリアクションを受けるわけですよね。どこの不動産屋さんに行っても、改造したいと言い始めると「面倒くさい奴が来た」みたいな感じでけんもほろろにされることも実際ありました。でも、何とか説得してこれを借りてリノベーションすると、オーナーさんが見に来て、「こんなにきれいになるんだ」と喜んでくれているんですよね。それで、「そうか、こういうことはなかなか普通ではないんだな」と。町の不動産屋さんに、こうなるから貸してくれないか、といろいろ言うんですけれども、イメージがわかないので、今までの町の不動産屋さんがいいと思っている物件と、こういう新しいことをしようと思っている私たちみたいな人たちの間に、感性のギャップがあって、埋められないなというふうに思ったんです。
「この町の神田の裏路地には、ああいう空き物件もある、こういう空き物件もある、味があってすごくいいんだ、僕らから見て」と言っても通じないので、でも通じないこと自体が面白くて、空き物件のブログを書き始めました。それが東京R不動産さんというのに繋がっていくんですけれども。あの街角にこういう味のある空き物件がある、というようなことを書いて、そうすると、どんどん、それを借りられないのかというような問い合わせがくるようになった。最初は、僕は不動産がわからないから、というふうに思っていたんですけれども、分かる仲間たち数人と、東京R不動産という、ちょっと変わった物件ばかりを仲介するウェブサイトを始めました。こういうウェブサイトなんですけども。普通、不動産というと築何年とか、駅から何分とか、そういう性能情報ばかり語るんですが、東京R不動産というのは物件を写真撮って、なぜそこが魅力的なのかを面白おかしく文章でも書く、というようなウェブサイトです。最大の特徴はアイコンで、物件にアイコンが付いているんですけど、改装オッケーとか嬉しそうに書いているんですよ。右側の方にいくと、レトロな味わいとか書いてあるんですね。普通の不動産たちからいうと、築年数が古いというとは価値が下がっていることになるんですが、私たちの場合はレトロな味わい、それ自体が価値であるということを見せています。お得なワケありとか。そういう、ちょっと怪しげな指標を不動産に付けて再流通させるということをやりました。こうやって検索して、なかにはこういう倉庫みたいな、面白いやつ。普通なかなか見つけられないやつを載っけています。ボロボロのワンルームなんですけれど、有名建築家が建てたのを偶然発見して、それを掲載する。空き物件だらけだったんですが、この物件そういうストーリーがあるんだと思った瞬間に大人気になったということが起こりました。いまこの東京R不動産というのは、月間250万ページビューぐらいあって、かなりアクセスがあるサイトになっています。そして日本では、南は鹿児島R不動産、福岡R不動産、神戸R不動産、大阪R不動産、北は山形R不動産まで、全国で10 ヵ所かな。10のなんとかR不動産というのができるまでになっています。要するに、新築史上主義の日本文化でしたが、実はそれだけではない、物件に新しい価値であるとか魅力を見いだす時代が確実に育っている、そして増えている。それを実感するこの10年でしたね。そのウェブサイトを運営するなかで面白いと思ったのが、メディアとデザインと、それから不動産、今までバラバラにあったこの3つの要素を融合させる。それによって、眠っていた物件の魅力がちょっとずつ新しいタイプの人に届けられ始めたっていう気がします。この3つの役割、3つの人材、これらの融合が実は物件の再生、しいては町の再生になると思うんですけれども。これは三国にもヒントになるかなと思うんですが、それを感じたスタートアップです。
ここからちょっと、実際に僕がデザインしたリノベーション物件をいくつか見て、ああこんな感じなんだと。まだ木造はあまり出てきませんけれども、三国みたいな。築40年のRCのコンクリート廃墟でして、5年間廃墟だったやつ、これをこうします。倉庫だったところに真っ白い塊を入れてガラスをはめます。それだけですね。でも、ここにいま家具屋さん、それからヨガスタジオなんかが入って再生している。これは最上階のところなんですけれども、住居に再生しています。デザインのポイントはアレックスさんと全く一緒ですね。水回りだけすごいきれいにして、そして床とか天井とか、人間の手が触れられないところは思い切りラフに。そのきれいなところと、古くて味があるところのコントラストを思い切り出すということを、リノベーションの醍醐味のひとつとして楽しんでいます。選択と集中のデザインというふうに言っていますけれども、やっぱり日本人は特にデリケートなので、水回りがすごく清潔でないと拒否反応が。鉄板を折り曲げて本棚を作ってみたりとか、水道管で洋服棚を作ったり、ガラガラという滑車のタイヤを使ってテーブルを作ったり。みんなリシンクリサイクルで空間を作るということしています。こんなかんじですね。これまた違う例ですね。倉庫が発見されました。もしかしたら三国も倉庫とかあるかもしれませんが、運河沿いに。こんな運河沿いですわ。東京の勝ちどきという町です。これはビフォーですね。これをガーって使って、僕らにとってこの空間はなんともいえない魅力があるんですよね。がらんと。うちの若いスタッフが、「カッコいい物件見つけてきました」と言ったんですが、「これ、おまえ、一体何に使うんだよ」っていうようなことを会話したのをよく覚えています。いまこれがどうなっているかというと、こうなっています。ビフォーアフターですね。靴屋さんのショールーム兼オフィス。床にフローリングをひいて、このガラスのキューブをポンと置きます。それだけですね。空調はこのガラスの中だけ。全部やるととんでもないランニングコストになってしまうので。でも、すごい寒い時、暑い時以外は、全体を使って仕事をしていますね。これもデザインのコントラスト。お金をかけてちゃんとするところには思い切りやるけれども、周りの側のところは思い切り手を付けない。そうやってデザインを作っていきますね。水際、気持ちいいです。こんな空間、三国にもありそうですけど。
イベントをやったり。ちょっと小ぶりの物件も少し持ってきました。うちの事務所の裏、日本橋の裏に、やっぱり戦後すぐできたぼろぼろの家があって、これをイタリア料理屋さんにリノベーションしています。ベースは残して、窓枠なんかを変えています。梁やスラブなんかの板張りのところはそのまま露出して、でも厨房であるとか、壁、人の手が触るところはすごくきれいにする。そのコントラスト。¥これは屋根裏ですね。屋根裏が発見されて、なんともいい空間だったんですよ。ここを隠れ家的部屋にして、ここは大人気の空間ですね。バーンって立ったら頭を打ちそうなんですけども、そのまとまった空気っていうのが、見えないところに新しい魅力を発見するのもリノベーションの魅力です。こうやって再生しています。
これは出来上がったばっかりなんですけども、東京の中野という町に木造の一軒家がありまして、オーナーさんがここにはすごくいろいろな思い出があるから、壊したり売ったりしたくない。でも、維持するためには投資しなければいけない。でもその投資した分は回収して、もうすぐ定年なので老後の収入にもしたいっていう相談を受けました。これは、この建物の良さをそのまま生かしながら、昭和の下宿のような、今流行のシェアハウスにリノベーションしています。和室をあえてそのままです。でも、各部屋、小さい部屋があるんですけれども、四畳半から六畳くらいの部屋、ここにちゃぶ台でも置いて、一部屋賃貸で、全部で8部屋あるというような物件として再生して、いまお客さんを募集しているところです。いま8個の半分ぐらいが2週間ぐらいで埋まっていますけども。これも昭和の味のある、これも戦後すぐの建物ですけれども、保存の仕方のうちの1つかもしれませんね。
「失われていた故郷」というのは突然なんですけれども、ちょっとこれを見てください。これ、僕の実家なんです。僕は佐賀県の伊万里市というところで生まれて、実家は雑誌と煙草を売っている家でした。見ての通り、これが出来たのは江戸時代ですね。すごく古くていい味で、僕はここで育っています。でも、いまシャッターが下りているように、本当は僕が跡継ぎです。僕が継がなかったために、この家は今こういう状況になっていて、リノベーションという仕事をしながら自分の家は何もできないのかという思いがずっとありました。この町がどうなっているかというと、今ほぼ消滅。消滅と言っても過言ではないと思います。衰退は通り越していますね、完全に。どんどんどんどん建物が無くなって解体するしかない。僕自身も、僕があの家を継いだあと一体どうするんだと自問自答する現実があるんですけれども。ずっとそういう意味では、自分自身が自分自身の町を救えなかったというところもあるので、地方都市でいろいろやることをちょっと逃げていたところがあるんですが、40を過ぎて、また地元の佐賀市から、あとで出てきますが、再生の相談があったときに、ちょっと意を決して、東京だけじゃなくて地方都市でもリノベーション、まちづくりの仕事をしようと思って、最近それをやり始めているところです。でも、消滅するんですよね、風景って。自分の記憶とか思い出とかそういうものはポーンと飛ぶ感覚っていうのは。そういう意味では三国は、まだしっかり風景が残っているので、僕から見るととてつもなくうらやましいです。
新しい故郷、こういうことを考える機会がありました。それは震災ですね。僕は山形にある東北芸術工科大学というところで教えているんですけれども、そこで震災があって、高台移転のプロジェクトなんかを一緒に考えなければいけないことがありました。その時に、どのようにして破壊された集落、町を再生すればいいのかっていうことを、若い世代の学生たちと話し合って、考えて、だからこういう風景なんですよね。新しい町です、一から作る。でも、いま若い学生たちが描いた風景はこんな風景なんですよね。高台移転としていますが、アレックスさんがおっしゃるような高断熱高気密で、ソーラーパネルとか乗っていて、ハイテクな住宅なんですけれども、形自体はすごくオーソドックスな懐かしい住宅の風景をしています。つづら折りの坂道の間に、ポツンポツンポツンと家があって、畑や田園のなかに家が散財しているような、こんな風景をイメージしたわけですね。やはり、私たちというのは、新しい風景を描かなければと思ったとしても、理想とする風景はこういう風景だったということに、はたと気がつかされます。そこで僕は、この家に「新しい故郷」という名前をつけて、被災地の人にプレゼンテーションしたりしたっていうこともありました。そこで、ちょっと順番逆になっちゃっていますが、風景資産と最近思うようになりました。風景って、実はかけがえのない資産であると。もっというと風景は、資本と言っても過言でないかもしれません。一回失われてしまうと、それは二度と戻って来ず、それは失って初めて気がつくんですけども。その古い風景、僕らの心に響く風景が残っていること自体が、実は地域にとっての資産である。感情的な意味だけではないと思うんです。その風景自体が、新しい資産や新しい収益を生む大きな原動力になり得るということを、最近特に思うようになりました。
そういうことを考えながら、今朝、三国の町の風景をいろいろ見て回ったりしたんですけれども、そのなかでも可能性をちょっと見てみます。こんな風景ですね。この何気ない日常、その日常こそが、僕は、何でもない魅力ってアレックスさんおっしゃっていました、この何気ない日常、これ自体が実はすごく魅力なんじゃないかなと。屋根と、どこにでもある中庭。これは撮りたてですが、あのお店なんだろうと近づいてみると、どうも種屋さんだなと。種がたくさん売っている、種屋さんってまだあるんだと。店先を見ると馬鈴薯が並んでいて、これは種芋かとか思って。種屋さんに置いてあるものを、そういう気づきをしながら歩いていく。これ、かわいいとか。この裏路地にちょっと曲がったこの感覚。この凹んだ建物がすごくかわいくて、前のオープンスペースにちょっとしたなんかの屋根とかがあって縁台でもあれば、なんともいえない空間に変わりそうだなと。この木のサッシ、結構珍しいですよね。いま材木が並んでしまっているけれども、あそこになんらかの新しい風景があった瞬間に、この建物は全然違った見え方をする。角で見つけたこの不思議な木造の蔵ですかね。たぶんこの蔵は、ものすごい素敵なバーとか、そういうのに変わりそうだな、と。
どんつきにこういう形の建物がありました。独特のプロポーションですよね。そこからスッと歩いていくと、あれ、これなんだろうと。軒がすごく低いんですよね。これは花街って言っていたから、その頃の建物なんじゃないかなと。花街は、二階に女の人が並ぶので、軒が低いんですよね。それは神田とかでもあるんですけども、これ間違いなくそうだと。二階に上ってみたら、こんな風景。こんなふうに町を見て歩いています。何気ない風景ですよね、全部。これは断面にちょっと他の建築にはない独特の感じがあるとかっていうことを感じたりします。
おそらく、この風景が日常である皆さんにとっては、なんでもない、どうでもいい風景かもしれません。ただ、そこにポンとやってきた僕にとっては、皆さんにとって何でもない日常が、とても素敵な日常に見えます。きっと観光地ではないんですよね。観光化されていない、何気ない日常があるからこそ、僕はぐっとくる。そして、それは今、日本のあらゆる世代が持っている感覚がなんじゃないかと。ザ観光地みたいなところに、いまさら行きたいのかと。日本にはもっとさりげない美しさがたくさんあるっていうことに気がつき始めています。三国には、その何気ない魅力みたいなものが、山ほどあるんですよね。これ、本当に30分そこら、1時間ぐらいのショートトリップですよね。風景の切り方によってこんなふうに変わっていく。これが気になって仕方なくなっていますね、僕。おばあちゃんが歩いていて、なんか変わった形の自転車だなと思って撮りましたけれども。何気ない日常の風景の価値みたいなものを再認識することが、もしかすると三国のポテンシャルを最も引き出すことかなと思いながら見ていました。
そして、ここからまた新しい、これ先週できたばっかりのプロジェクトなんですけれども、僕が生まれた故郷、佐賀の柳歴史地区の再生です。僕にとってはちょっとしたリベンジですよね。佐賀市から相談をされて、長崎街道といって、博多から長崎まで続く道があるんですけれども、そこには歴史的な建物がポツポツと残っているエリアです。佐賀にもそこの一部があって、ちょっといま荒れ果てていますが、江戸後期から明治初期にかけて建てられた比較的裕福な家がこうやって残って、あまり使われずにこんなふうに荒れています。佐賀市としては観光地化もしたい。でも、これは周りに家もたくさんあるんだけど、なんとか再生できないかっていう相談を受けました。こんな感じですね。一部、ガンとお店が入っていたりとかですね、中がこんなだったりとか、路地がこんなふうにあったりとか、なんかいい感じなんですよね。この建物を保存して風景を整備するために、佐賀市がいったん買い取りました。行政の資産にして、さてどうするかと相談があったので、普通ならアレックスさんもおっしゃるように、文化財として修復するところです。何個かの家は実際にそうされていました。だけど僕は佐賀市に、文化財指定しないでくれと。そうすると機能に極めて制限がかかってしまって、氷漬けになってしまうから、平成のこの時代に合った使い方で、今の時代だからこそ可能な再生をしましょうと。そして一旦文化財にしてしまって行政の資産にすると、ずっと管理費を出し続けなければならない。そうであるとするならば、リノベーションして、いい空間にして貸しましょうよ、と。民間の事業者によって管理させて、管理費を出すのではなくて、逆に家賃を取ろうよと。行政の資産も逼迫していますよね、というところで、いいねっていうところでそれが進みました。こんなふうですよ、中。僕がやったのは、出来てしまってテナント集め始めるとすると、リスクが高すぎると思ったんですよね。行政としても。なので、この古い物件、ボロボロの物件、こうなりなりますよというのをスケッチで描いたり、現地案内会をして熱く語ったり、メディアの人に来てもらったりということをずっと繰り返しました。こんなふうにしていますよとか、断面を一部床抜いてロフトにしますよとか。そんなことを言って募集しました。地元のメディアがあったので、それを全部俺が編集長やるって言ってやって、そこに物件の宣伝とかをして、とにかく町の人たちにこう変わるよ、だから参加してくれ、テナント募集みたいなことを着工前にやります。こんな感じですね。町の魅力も一緒に伝えるんですが、ウェブでも。着工する前に半分以上のテナントが見つかりました。しかも、たくさんの応募があったのでコンペにしたので、すごくいいテナントさんが集まってきます。この建物の再生のコンセプトをわかってくれるテナントさんが集まって来てくれたんですね。柳町。これ出来上がったばかりなんですが、先週できて完成しています。完成した時に、もうテナントが全部埋まっているという状況ですね。ファサードは再現ですね。歴史的に価値を見出して。中庭なんかも再現してですね、渡り廊下もこんなふうに。さっき佐賀オーディオとあったところを、ちゃんともとに戻しています。あの美しかった裏路地も完璧にこうやって奥の庭に入れるようにというデザインをしています。
中に入ると、使い方は全く違います。昔は呉服問屋だったりタバコ屋さんだったりしたんですけれども、カフェになっていたりとかですね。これは下駄履き屋さんですね。空間のストラクチャーをそのまま残しながら、厨房なんかを作って新しい機能を作っています。一部床を吹き抜けにして。あとで出てきますが、ここは写真スタジオなんかに変わっています。階段を上っていくと、でっかい物件なので、1つの事業者がバーンと借りると家賃が高くなりすぎる。なので、小さなブースをたくさん作って、一部屋2万円とか、2万円から6万円ぐらいの間でワーッと貸して、結果としてまあまあの家賃が取れるように工夫をしています。古いところは梁がそのまま、新しいところは、この白い部分は空間の中に置いた小さな区画ですね。昔の小学校みたいな、そんな趣のデザインをしました。このへんの梁は残して。さきほどの吹き抜けのところは、応募してくれた写真スタジオさんが、家族写真を復活させたい、この町の風景を使ってというコンセプトが気にいって、入居してもらって、すごくいい風景で使っていますね。こんなふうに。小さなブースは22歳のイラストレーターさんが、こんなにサイケデリックな絵を描くんですけども、この風景とのマッチングが最高だなと思ってやってくれています。
こんなふうに、この時代ならではの中身、テナント、コンテンツによって古い建物を再生するということをやっています。行政としては、逆に家賃がとれています。面白い出来事だったのが、できる前に彼らはもう住むことが決まっているので、町ができる前に商店街組合というのかな、町会みたいものができて、町を盛り上げようと既に動き始めてくれているんですね。地元の人たちを呼んで食事会を開いてみたり、オープニングとかに招いてくれていたりしていますよね。どうやってプロモーションしていくかってことを、彼ら自身が考えてくれています。テナントさんが伝統芸能の絨毯を作っているところ、それから紅茶のカフェ、それから写真スタジオですね、あとイラストレーターさん、IT企業さんが入っていて、IT企業さんが新しい実験をしたいからといってカフェをやっています。そこでITの講習なんかをやる。要は新旧がおり混ざったようなコンテンツになって、独特の町になると。僕はこの町自体を、古さと新しさが融合するような、佐賀の中で新しい日常が淡々と営まれて、でもその風景自体が、この時代の観光的な要素を持ちうるみたいな、こういうような風景が描けないかと思って。田舎の風景ですよね。オープニングなので、がんばっていこうと盛り上がっていますけども。今日レクチャーでどうしても写真見せたいからくれって言ったら、これが送られてきましたけれども。こんなふうに使ってもくれていますね。僕、これ、初めて見るんですけど。お皿があって。ちょっと時間が無くなってきました。
京都の堀川団地という、同じようにボロボロの団地があったんですが、そこの一部再生を手伝っていて、こんなふうです。Before。味があってよかったんですが再生したいと。これもすごく住むのが難しそうだったので、まずこの空間を住みこなしたい人を先に募集して、手をあげてくれて、その人の意見を聞きながらリノベーションしています。眼鏡職人さんが住みながら働いてくれるなど。ここですね。こんな空間が広がっています。
R不動産グループでは、こういうことをやりながら新しいちょっと事業を始めようとしていて、ハウステイ、宿泊サイトです。アレックスさんの話を聞いていて、ぜひ何か一緒にやれないかなと思いながら聞いていました。どう住むかですね。普通のホテルではなくて、いわゆるシティーホテルとか、じゃらんとか一休とかのようなホテルではなくて。必ずしも観光地ではない。それこそ、どうでもいい何気ない日常がある町や村の、でも隠れた魅力があるような素敵な旅館。ちゃんとした日常がある宿みたいなものを探して、セレクトしていこうと。R不動産的な目線で。今絶賛整備中なんですけども。いま三国でも宿がたくさん出てくると、まさに三国みたいな町こそこれに出て欲しいというようなサイトですね。あとリアルローカルというウェブサイト。先ほどメディアが大切だと言ったと思うんですが、実際に作ってもそこに人が来て、その存在を知ってもらわなければなりません。じゃあ、ということで、物件だけだとどうしても移住とかが進まないので、物件と仕事と、それからイベントと、それから人、ここにいけばこんな人に会えるというような、そんなウェブサイトを作っています。このへん、ちょっと飛ばします。
最後に、あと3分くらいあるみたいなので。去年の夏、偶然に行って。実はさっきアレックスさんがちょっとおっしゃいましたが、去年僕は、小値賀島に偶然行きます。アレックスさんのことなんか何も知らずに、ぼーっとした夏休みを過ごしたいと思って見つけたところが五島列島。そこで宿を探すと、すごくかっこいいのがあって、この宿でぼーっとしようと思って小値賀島に行きます。小値賀島はちょっと似ているんですよね、ここと。クジラ漁ですごい栄えた時期があって、そのいい建物が残っている。写っているのはうちの嫁ですけども、ただの家族旅行ですね。ただ魅力的だったのは、この町並みなんですよね。どうでもいいような。でも、この細い道とかにグッときて、僕はたくさんシャッターを。こういう空間にこそ新しい観光資源が眠っているんじゃないかと。子どもですけども。どうやったらこんなふうに色の剥げ方するんだろうというところにグッと来ているんですけど。こんなものすごい石積みがあったり。この何気ないところにこそ、新しい観光のバリューなんじゃないかと。店先に昭和のこんなのがありました。
バス停があって、かわいいなと思って近寄っていたら、ほとんどバス来ないとか。こういうところグッときますよね。これが、アレックスさんがプロデュースしたお宿。僕、本当に泊まることなったんです。入っていくわけですよ、こうやって。トントンと。奥の方に建物が見えてきて、本当に中に入っていくわけですけども、ものすごくドラマティック。中に入っていくとこんなふうにしつらえがあって。息子ですが。アレックスさんの写真と一緒ですよね。庭のところがこんなふうになって、うまいなと。このへんは夏なので、光と影の。このへんはアレックスワールド炸裂ですよね。なんかね。こんなふうに陰影礼賛な感じで、すごく美しい。
やっぱり同じこと思ったんですよ。水回りがしっかりしている、そこがものすごくポイントで、これがボーっと快適に過ごせるものすごく重要なポイント、ファクターです。おまけに、ちょっとしたリネン類とかががすごく清潔できれいで、現代的なデザイン。こういうふうにして、特別な日常みたいなものを経験することができました。三国もこういうポテンシャルがすごくあるんじゃないかと。さらにおまけですけれども、ボーッと歩いていたら釣り具屋があって、海があるんで釣り具屋によって、「このへんなんか釣れませんか」と言って。本当に日常ですよね。釣り糸をもらって、餌のミミズを買って、子供が初めて釣りをする。生まれて初めて釣って、なんかこんな空を見ているというような日常を過ごしました。三国のポテンシャルは、まさにそのあたりにあるのではないかなということを感じています。おそらく、特別な観光地を求めずに日本の美しいところを再認識したい、美しいところを再認識する世代、人々がたくさん出てきます。そういうところに行きたい時もあるかもしれませんけれども。外国からすると、それはもう当たり前のように美しいかもしれない。そのあたりを意識しながら、この三国の可能性みたいなものを考えていくと何か面白いことがやれそうかなと思いながら、今日、朝、町をうろうろさせてもらいました。ちょうど時間です。ありがとうございます。
第2部 対談
「町家の活用と観光、そして三国のこれから」
アレックス・カー氏×馬場正尊氏
コーディネーター:倉橋宏典氏
倉橋:三國會所の倉橋と申します。よろしくお願いします。今日はお二方、ご講演どうもありがとうございました。
馬場:ありがとうございます。
倉橋:僕は大学を出て、東京でまちづくりのコンサルタントをやっていました。大学の時も東京大学の西村幸夫先生の研究室で、まちづくりや都市デザインを専門でずっとやってきました。大学に入った時には三国という場所の価値というものを全然知らなかったんですけど、西村先生に「お前、すごいところにいるな」と言われて。三国の魅力って先ほども仰っていましたけれど、何気ない町並みの魅力というものに気づいて、5年ほど前に福井に戻ってきました。今日のために、アレックス・カーさんと馬場さんの本など読んだりして、お2人のことを勉強などもしたんですけども、アレックスさんは日本の美とか、そういうものがなくなっていくことに対しての危機感みたいなものをすごく嘆いていた。馬場さんの方はもう少しアヴァンギャルドというかサブカルチャー的なことでリノベーションしていって、という話が多くて、実は今日の対談でどう噛み合ってくるのかなと思っていたんですけれども、さっきの話で、ものすごく共通のテーマというか、何気ない日常という言葉と、なんでもない魅力という、そういうものを生かすというのがあるべきことなんじゃないかというようなキーワードが出て、すごいなというふうに思った次第です。
それでは早速ですね、対談ということで、先程のお二方のプレゼンテーションをお聞きして、まずアレックス・カーさんのご講演をお聞きした感想を馬場さんの方からお願いします。
馬場:はい。本当に打ち合わせをしたわけでもないのに、使っている単語と写してる写真のシーンが似すぎていて、ちょっと気持ち悪かったです。僕は実は、アレックスさんのことは随分前から存じていて、京都で一番最初に手掛けられたゲストハウスのうちの、たぶん5棟くらい泊まっているんですよ。それで今回の五島列島も、偶然ですが本当に泊まっていて。すごくデザイン的にも影響を受けているというふうに思います。僕はアレックスさんのプロデュースする空間の好きなところが、原理主義的でないところなんです。すごく現実的な快適性とか、今の人間が何を求めているかってところの、かゆいところに手が届く的確なところ、そして大切にするところと大切に守るところと、思いっきり新しいところにバーンてふるところの割り切りがはっきりしているので、住む側、使う側がどう使っていくかがよくわかるというところが、プラグマティックでいいなぁというふう思っていました。アレックス・カーさんの文章とかを読むと、ものすごくエッジの立った日本論のページが強くて、結構怖い人だろうなと思っていたんですが、でも作る空間は結構優しくて、実際本人にお会いしたらこんな方だったんだと思って、すごくなんか腑に落ちたというか、安心したというか、そんな気がしました。僕は日常の価値というか、日常の風景の再認識みたいなことを今日伝えたいと思って来たら、アレックスさんもほとんど似たようなフレーズを使われていたので、ああそうか、そっちに向かって仕事をしていってどうも間違いがなさそうだみたいなということを感じられて、すごく良い時間を過ごさせてもらいました、聴きながら。はい。
倉橋:アレックスさんの方はいかがですか?馬場さんの話を聞かれて、感想といいますか。
アレックス:さっき馬場さんが仰ったように、あまりにも似すぎていて、どっかパクられたのかなと。ははは。だけど結局ね、倉橋さんがいうサブカルチャー、そして私たちがいう景観や日本の町並みとか、文化遺産、そういうものを残すことは、意外と行き着くところは同じだと思う。本当に。というのは、特に今の若い人たちは結構洗練された目もある。古いレトロ的な倉庫であろうが、古民家であろうが、空間としていい部分をちゃんと分かっている。そしてそれを今の時代として、美しく快適に洒落た感覚でどう生かすかということが、彼らは結構そういう感覚ついているわけだからね。だから、逆に今日馬場さんのを見て、今度パクっちゃうんだよ。建物の中にああいうキューブみたいなものを置くっていうね、非常にクリエイティブな素晴らしい発想があって。これまでだったら倉庫だから、全面がらんとして使わなければいけないという、単純発想じゃないですか。でもそういう面白い、創造的な、今までにない空間の使い方ことを考えると生き返ってくるじゃないですか。そういう意味で、たぶんね、ほぼ同じところに辿り着くような気がしますね。
倉橋:お二人の空間の発想といますか、それはどういうところから生まれてくるのでしょうか。例えば場所をちゃんよく見るとそこには価値があるとか、ポテンシャルをどういうふうに見つけてくるのかとか、そういうところを聞きたいなと思います。
馬場:うまくいえるか分かんないです。僕は木造にしろRCの鉄骨にしろ、いろんなタイプの建物を再生しますが、感覚としてですね、その建物とか、その周辺環境と対話する感覚があるんですよ。よく見ていると、その建物がオリジナルに持っている可能性とかポテンシャルみたいなものが見えてくる感じ。人間と近いですね。話してると、その人の眠った魅力とか、本当はこいつどんなやつなんだろうなぁみたいなことがジワッと分かる感覚というのがありますよね。建物、特にある程度時間を過ごして、時間を経過した建物で、しっかり残っている建物というのは、それなりのなんか時間の積み重ねが物を語ってくれるところがあって、ここはこの建物はきっと大切にすべきなんだろうなということが見えてきますね。当然周辺環境も見るから、ここにこういう開口部を開けた瞬間にあの風景が見えて、きっとここに座るとこんな気分になるだろうとか、そういうようなところがまずすごくあって、それが古い建物と仕事をする、対話する楽しみですね。同時に、そんなにロマンティックなことばかりではなくて、給排水とか設備とか構造とか、すごいクリティカルな物もたくさんあるんですよね。そこは逆に技術力ですよね。この建物はここにきっと問題があるから、ここにお金がかかるだろうとか、この建物はここに問題がありすぎるからきっと再生は難しいだろうとか、どうしてもスライドで出すやつは変えた建物なんですが、その裏にたくさん救えなかった建物もあるんですよね。それを見極めるということもすごく重要。そういう意味ではそこも対話しているのかもしれない。僕はそれがボロ物件でもいい、なんの手ももつかない建物のなかに入って、妄想を働かせながらこう、というのが好きですよね。だからこんな仕事をしているのかなと思います。
アレックス:私はプロデュースはしているけれど、建築士じゃないし、そういう資格も何もないんで、いつも建築士と組んでいるわけですね。その地域その地域の人と。いつも彼らにまず言うのが、何かを紙の上で設計するとか、勝手になんかやる前に、この家の声を聞けと。こうでありたいという物があるんですよ。じっくりその中にいると、こういう場所ならこういうことができるな、とか。もうちょっと明るくしたいなと。逆に、思い切って暗いままの方がいいんだ。ここをベッドルームで使いたいんだけども、建物の構造上はそれは無理が出るから、じゃあ別のことをしようとかね。ベッドルームにしないで他の使い方にとか。つまり、融通でもって家のいろんな区画とか、そういうものに乗りながら、家と戦うんじゃなくて対話をする。馬場さんも仰っているように、建築基準法だとか、地震対策とか、水回りとか電気系統のいろんな問題があって、パズルですね。これがやりたいんだけど、それがあるからこうなったとかね。いくらでもあるわけだけども、それは工夫次第。それも一つの楽しみと言うかね。パズルの解決を見つけた時のすごい満足感もある。
馬場:そうですよね。あるある。
アレックス:だからうちの場合、それは何かの問題が出た時に、最初問題だと思ったことが逆に意外と、結果としてすごくいいことになる。例えば祖谷の場合は、家は重伝建の指定を受けている。本来はそれは外観だけの話なんだけども、時々家のなかのことまで口出す人がいるんですね。それは例えば囲炉裏の形跡があったことを残せとやかましく言われた。最近。それが、僕はストンと板の間の座敷にしようとした。さっきお見せした三軒リビング。その周りにソファを置こうということをしようと思ったところ、邪魔になる。囲炉裏を残さないといけないと、掘ったところに出るんだよ。結局、考えて考えて、ついに囲炉裏の石組みを残すことにした。そしたらソファを作る、ここにテーブルを置くんじゃなくて、囲炉裏の上にガラス天板作るわけよね。そしたら、もともとの床がここまでなんだけど、掘りごたつ式になっているから周りはソファ、この辺は石で、上の方がガラステーブルになる。それが逆にすっきり。いまちょうど作っている最中で出来上がっていないけれど、出来上がりは約束できないけれども、きっと今までになかった面白い空間になるんじゃないかと思うのね。それは一つの条件に応えての、そういうやりとりによって出来上がる楽しい発想の時もあるんですよね。
馬場:ありますよね、ありますあります。三国とかにもたくさんある古い建物とかを、本当に昔のままに再現して残そうと過剰に思い過ぎると、やっぱりそれは適切ではないと思うんですよね。だってそれは、江戸明治の使い方と平成の今の使い方は、ライフスタイルも設備も全然変わっているので、同じ再現することが必ずしもプラスであるわけがないと思うんですよ。極端な話、アナソフィアだって昔はキリスト教の教会で、今はモスクなわけじゃないですか。やっぱりいい建築、いい建物というのは、その思想とかストラクチャーとかを大切にしながら、その時代の状況に合わせて適切な回答を出していった建物がいい建築に思うような気がして仕方がなくて、それでも残したいと思われる建築が残っていると思うんですね。その時には、新しい使い手の新しい知恵みたいなものがあると思うし、同時に古さに対する畏怖とか尊敬みたいなものを引き継ぐ感性を持っている人がやるとするならば、さっきみたいな回答、アレックスさんが出したような、痕跡を上手く記憶を残しながら、そこに新しい素材をポッと入れることで、全然見たことがないような風景が生まれるという素敵な偶然も生まれるわけじゃないですか。それ自体が使い方も変わっているわけですけれども。囲炉裏じゃないですもんね。そこをすごく積極的に取り入れていくべきで、そこは代謝があっていいと思うんですよね。
倉橋:いまアレックスさんにプロデュースいただいているゲストハウスにしても、いろんな規制があって、プランも何回も何回も変わってますよね。
アレックス:ごめんなさいね、話の途中で。もう一つ、特にうちの場合は、設計をして終わりというのではなくて、そのあとの運営のことはずっと考えている。つまり行政のお荷物にならないように、ちゃんと利回りを生むような施設にならないといけない。そしたらお客が喜んでくれる施設にならないといけない。それと、例えば今回はなぜ2つに分けたかというと、今までのいろんな経験で大きい物件は意外と売りにくいんだな。ちょっとこじんまりとしたものがお客が喜ぶ。それと、結構お金をかけて田中薬局をきれいに直したあとの場合、一軒だと、一軒貸し、一棟貸しですから、ちょっと限られちゃうから、2つにしてやると運営面でいい。ただ、その場合は、今度は運営となってくると、何人が泊まれるとか、プライバシーの問題になったり、そういうことがいろいろデザインとか設計とかにかかってくるから、ずいぶん今回設計期間が長かったね。いろいろ変わって。お金が足りるか足りないか、足りない分は削らなければいけない。そういうことがいろいろありましたね。
馬場:僕も運営の重要さは痛感しますよね。特に宿なんて、運営する人で宿のクオリティがどらぐらいでも変わるじゃないですか。小値賀アイランド、小値賀島のはすごく良かったです。
アレックス:しっかりしています。小値賀のアイランドツーリズムというNPOがとてもしっかりしていて、素晴らしい運営ですね。
馬場:話しかけてくれるんですよね。システムもいいですよね。チェックインの時に一緒に付いて来てもらって説明を受けて、そこだけなんですよ、コミュニケーションは。あとは、ここに鍵をポトンと落として帰ってください、という感じで、コミュニケーションの時間はすごく短いんだけども、その時に「あの辺に行ったら あの辺りの風景がいいですよ」とか、「こういうことだったら、あそこの角に面白いものがありますよ」みたいな。なんていうんですかね。本当に地元の人と会話している感じで、へーって言って、小さい何気ない地図をポッと渡してもらって、「この辺とこの辺がね」という、その小さなコミュニケーションがすごく良くて。運営というと堅いシステマチックなもののように見えるけれども、全然そんなことよりも、一人間として、こっちが欲しいものをかゆいところに手が届く感じでいろいろ話しかけてくれて、そのちょっとしたコミュニケーションがすごい良かった。案外、ホテルのフロント的なコミュニケーションは全然ないんですが。
アレックス:そのへんは行き届いていますね。人間味が非常に大事で、そして、お客を放っといてあげられる、ということがあるんだよ。
馬場:そうそう、それ重要ですね。
アレックス:いちいち聞きに行ったりとか、いらんことまで案内したりする必要もないんでね。意外とみな静かで、マイペースで休みたいので。
倉橋:町の当たり前のことをちゃんと説明してくれるということですね。そういうのは、アレックスさんの方で、こういうコミュニケーションをしてくださいとか、そういうふうに言われてるんですか?
アレックス:私が多少チームで、いろいろ今までやったことの積み重ねですね。だから、まず京町家で始まって、そこで学んだことを今度小値賀で。最初の小値賀の彼らは皆うちで研修したんですね。
馬場:ああ、そうなんですね。
アレックス:そしたら小値賀で学んだことを、今度は祖谷でとか。それで、いろいろあるんだよ。客が文句言うところとか、僕が全く個人的に気にしなかったことが、こういうことはお客としては問題だなというようなことが見えて来たり。そのなかで作り上げて行くものなんですね。
馬場:ちょっと今日は出さなかったんですけれども、僕も宿泊ということに興味があって、さっきハウステイという宿泊サイトをR不動産グループで新しく作ろうとしているくらいなので。それでまず、実験しようということで、房総にある自分の家を、房総半島にあるんですけど、それは新築なんですね。思いっきり。用途変更して簡易 に今年の夏に変えてみたんですよ。実際に近くの人に泊まってもらうという。だから僕の家は宿泊施設、半分家みたいになっているんですけど。なんかすごく考えましたね、運営について。それで、冷蔵庫の中とかに「この飲み物は飲んでいいですよ」とか、ちょこちょことメッセージを書いていたら、泊まった人から御礼のメールがくると、結構感動してグッときたりして。そういうのでも宿泊のなかでも対話がね。
アレックス:日本はどうか分かりませんですけども、いま世界的にairbnbという会社は世界的にとっても大きくなりましてね、それは一般の人が自分の家を人に貸すというサイトがあるんですね。日本にもあるんですかね。
馬場:日本にも支店が出来たんですけれども、旅館業法と建築基準法と消防法のせいで、結構海外ほど自由にそれができない。法律がどうしてもグレーで、まだ一般化までいっていなくて、おそらくアレックスさんとかが開発した京都のシステムなんかが一つの規範になっていて、もしかすると今度の規制緩和で緩和される可能性もあるんですけれども、でもそこは日本はまだ非常に不自由ですね。
アレックス:そういうこともあるから、うちの小値賀も祖谷も、もちろん三国もそうですけれども、簡易宿所の許可をちゃんと取って、そういう形にしていかないとうるさいことになるんでね。ははは。
馬場:もうちょっと融通きかせてほしいなといつも思いますけれども。
倉橋:そうですね。三国なんかも、家を借りてショートステイしたりとか、そういうようなことが出来るといいなと思うんですけれども。R不動産のほうで、金沢でそういう取り組みをやろうとしているということを聞いたんですが。
馬場:今日R不動産チームがたくさん来ているんですけれども、新しい宿泊の形をディベロップしようと思って、金沢が面白いんじゃないかなというので、みんなで明日金沢に行って、既存建築を使って何をしてどういう物件でどういうシステムで、新しい宿泊と住むの中間みたいな感じで実現できるかを考えようかなと思っています。ちょうど新幹線も来るころだし。ちょうど金沢だけど、僕は今日初めて三国の町中をウロウロさせてもらったんですけど、たくさんあるじゃんって思いました。あの建物とかこうすればいいのにとか、ああすればいいのにとか、妄想できる建物がたくさんあって、三国は幸い、幸いといったらどうかわからないけれど、宿泊があまり今のところ多くはないじゃないですか。
倉橋:町中に、ですね。
馬場:はい。でも三国の良さは夕方だと思いました、僕は。夕方が美しかった。光がポッポッポとあって川沿いのところにブワーって。みんなちゃんと、オレンジの電球色の光で、蛍光灯が少ないんですよ。それは日本の町で珍しくて。街灯の含めて。あれは実はすごいポテンシャル。日本は白い蛍光灯の色が夜の景観をどれだけぶっ壊しているかと思うんですけど。三国はコンビニもないですしね。それが、夕方から夜にかけてウロウロすると素晴らしくて、そのわりには町中に宿舎がないので、それこそ今からそれをひとつひとつ作って、夕方の三国を売って行けばなと思ってみてましたけれどね。
倉橋:夕陽もきれいですしね。
馬場:そうか。
倉橋:そうなんです。夕方だとやっぱり変な建物とか見えないんですね。
馬場:そうそう。
倉橋:昨日馬場さんがいらっしゃった時、夜来られて、飲みながら本当にそういうことを言われていて、ああ、そうなんだなと。夜とか散歩すると気持ちいいですよね。
アレックス:あとね、面白いこと。景観資産でしたっけね?
馬場:景観資産。はい。
アレックス:景観資産という表現だったんですね。これまで、ちょっと不動産の話なんだけれども、例えばアメリカの町とかでは景観がきれいなところは時価が高い。
馬場:そうですよね。
アレックス:景観がおそまつにされたところは、どんどんスラム化していく。日本は全く景観関係なく面積何平米、駅からどのくらい、それしかなかった。きれいであろうが、汚かろうが関係なかった。どちらかというと少しきれいということは時代遅れだったのね。そういうこともあるから、地域の場合、景観をきれいにしようとか、景観規制をかけようとすると、地元から猛烈な反対があるんですね。今度、土地を売った時に大きなマンションが作れないとか、そういう規制があることによって時価が下がる、高く売れないと思い込んでいるわけですね。しかし、都会対都会の東京の真ん中は別でしょうけれども、三国みたいな町がでっかいマンションを作るわけもないし、どんどん人口が減っていくに決まっているわけですね。人口が減っていくという今までになかった事情になっていくと、今までの不動産常識が逆になる。そうしたらきれいな町として残ったところは外部の人が住みたい、宿泊としてなんかしたい、あるいはテナントが入ってお店開きたい。中途半端に規制をかけてなくてつまらなくなった町がどんどん寂れていく。だから将来は、きちんと景観を守れば、あの旧市街が逆に三国のなかで一番高級地になるに決まっているんですね。不動産的に。つまり、今は厳しい一つの商売のことで言ってるんですね。その意味で景観資産というものは、三国はきちんとあるから、それを見逃してどことも同じ町になってしまえば、それは不動産価値が下がるばかり。その意味でちょっと今までの感覚と違うことが起きていると思いますね。
馬場:明らかにその兆しはあって。例えば東京R不動産とか、R不動産やっているじゃないですか。比較的ちょっと感受性の強い人の読者が多いんですけれども、どうしても。窓からの風景がきれいとか、ベランダが奇妙に広いとか、そういう物件が出るとやっぱりすごい人気があるんですよ。スペックだけじゃないですよね。総合環境みたいなところによって、明らかにそこに価値を見出す人たちがたくさん育ってきている。それはいま、ポジティブなことだというふうに思いますけれど。今の不動産とか銀行とかは、まだそういうような価値を提供できる技術はないけれど、マーケットの方が先に動いて、どんどんそうなっていくというような気がするんです。価値観の転換が行われている。アメリカとか、セントラルパークの周りは税金も高いんですよね。いい環境を享受しているから当然税金も高いだろうという、アメリカらしい公平性だなと思うんですよ。日本で、公園の隣だからといって税金あげたら、たぶんめちゃくちゃ怒られそうなんだけども、常識が違うんだなと。それで、やっと僕らの世代はいい風景を享受するということに対して、具体的な価値みたいなものを、まだなんとなくじゃなくて、ちゃんと定量的にバシッとちゃんと提示できそうな世代だなという気がしています。なので、今後人口が減ってくると、市町村とかになると取捨選択の時代が本当に始まると思うんですよ。僕の生まれた町なんかも、さっきスライドで流したんだけれども、どうしていいか分からないですもん。なぜかというと、解体されていくからですよね。風景がリセットされていくんですよね。被災地に行って思うんだけど、これは地方都市の未来都市だからなと。20年分いっきに先回りされたような。津波で。そんな感覚に襲われたんですけれども。経済とか人口が、生きていく町と、それから人がいなくなっていく町とを自動選択するようになる気がして仕方がなくて、そこのギリギリのタイミングが今。これで舵取りを間違えると、町が消滅するような気がして仕方がない。それを切実に思いますね。だから、さっきの不動産価値もそういうことだと思うんですよ。
アレックス:変な表現だけど、今まで美観とか景観というのは経済発展と反対方向だとよく思われている。本当に何か景観をよくしようとすると、繁華街とかお店の主人たちは猛烈に反対なんだよ。町の経済発展をどこかで妨げるんじゃないかという印象があるくらいですね。だけど、先々のこと、今から例えば30年、50年先、きれいな景観を残した町は未来がある。そうでないところは、救われないよ。いくらどんなことやっても。例えば、馬場さんがやっているような公団だとか、都会の中であるものはそれは便利なんだからお客入ってくれるけれども、都会からだいぶかけ離れた、周りは景観的につまらなくなった地域は難しいね。ひょっとしたら断念しなければいけないくらい、もう未来性はない。だから、非常に厳しい意味で、美観景観は特に地方の町の救い主でもある。それがなくなったところは、非常に暗い。救われない未来もある。そのへん、非常にシビアだと思う。だからロマンチックで、三国がきれいであればいいなという程度の話ではないの。50年先の三国を考えましょう。そういうのをどんどん駐車場とか、古い家を壊されてつまらない建物とかになった時の三国は人が住んでいるのか。非常に、景観が持つ意味が、これまでとちょっと違う、恐ろしさと言っていいくらいの意味がついていると思いますね。
馬場:同時に、日本はまだ高いけど、これだけ移動コストが下がって、様々な情報やプロモーション手段がすごい洗練されてきている現代だったら、明解な目的とか、そこにしかない美しい風景とか時間とか、そういうものが確固としてあれば、世界中から人は来る時代ですよね。一軒の美味しいレストランがあれば、それを食べるためだけに世界中から人が来る時代になっているじゃないですか。そういう意味では、一つの強烈の目的のためだけに移動して、残りの時間を思い切りぼんやり過ごすというような。今までの旅というのは目的、目的、目的を紡いで忙しく動くような旅を特に日本はしてきたと思うんだけれども、一気に変わる。それこそアレックスさんのところの宿もそうかもしれないけれど、あの宿に泊まろうと、ボーットする。それ以外はただの日常的な偶然に委ねるという旅の仕方になっているような気がしますね。僕が行った五島列島も完全にそうだった。その商店のおばさんとするどうでもいい会話とか、逆にそういうことが印象に残っているし、そういう時間が幸せだったりする。この時代の観光というのは、そういうふうになっていくような気がして仕方がなくて、だからこそ日常みたいなものが、日常の足腰がしっかりした町にすごく魅力的なコンテンツがスッと入っていれば、その町にはたぶん、日本中、世界中から人が来るんじゃないかなという気がするんですよね。だから、中間がない気がします。
倉橋:そういう意味では三国はものすごく可能性があるということですね。
馬場:恵まれていると思いますよ。
アレックス:本当に恵まれている。いろんな意味で。交通手段も含めて。あんな祖谷とか小値賀みたいなのは、かなりのハードルですよね。
馬場:そうですよね。僕、小値賀島に行ったとき、台風が来て大変な目にあったんですよね。
アレックス:あれは船が欠航するからね。船がいかなかったりね。祖谷の場合は、上の方が雪が積もるから、なかなか慣れた人でないと上がれないとかですね。ははは。
馬場:そうですよね。そういう意味では食べ物もありますしね。昨日生まれて初めて、あんなに大きい蟹を食べましたけれど。
倉橋:私も初めて、黄金蟹を食べました。さて、これから三国會所が町家とかを活用としていくことにあたって、どうやっていろんな人と折衝して、空いていたところを集めていって、それをどう上手く活用していくか、軌道に乗せていくかというところも、今までされてきたやり方を踏まえたアドバイスをいただきたいなと思うのですが、いかがでしょうか。
アレックス:佐賀の方はどんなふうにしていますか?
馬場:佐賀は、まず事業主というか、ひらたく言うとテナントですね。それを運営する人。運営する人と言ってもいいと思うし、テナントと言ってもいいと思うし、プレーヤーですよね。プレーヤーを見つけないことには、ただ空間を変えただけでは生きた空間にならないし、収入も上がらないというのは分かっていたので、まず空き物件という段階から徹底的に募集を始めて盛り上げて、ここで何かしたいという人を集めるということを、設計と同時にパラレルでバーンとやっていくということをやったんですよね。失敗できないじゃないですか。作ったのに空き家というわけにはいかないと思うので。投資もしているから。なので、そういう意味でのプレーヤーの集客が僕は重要だと思っていますね。三国の場合は風景のインフラがしっかりしているから、とりあえず、例えば一週間ぐらい物件を全部見て回れるみたいな期間を作ってツアーをするとか。要は空き物件という観光を仕掛けるとかして、そこで何かやってみたいと思う人を全国から集めてみるとか。まずは近隣からかもしれませんが、まず空けてみる、それを見て回るというのが結構重要だったりする気がしますよね。空間がしっかりしているからこそ出来る作戦。
倉橋:佐賀の場合は、結構若い人たちが入って来たと言ってましたけれども、いたんですか?若い人たちが見えていたのか、それとも。
馬場:見えてない、見えてない、見えてない。大丈夫かなと思って半信半疑で始めて、新聞に取材に来てもらったり、TVに取材に来てもらったり、空き物件ツアーとかを企画してみたり、ツアーしながらここは多分こうなるといいと思うんですよねとか言いながら、ツアーをしていて盛り上がって、ジワッと。あとはかわら版というフライヤーみたいなのを使って、カフェとかいかにもそういう人が来そうなところに置いてもらったりとか、ゲリラ戦的なことをやったりとか、小さな積み重ねかなと思うんですよね。三国の場合はもっと観光地性もあるし、ああいう空間にグッと来る人達って確かにいると思うから、新しいことを何かやりたいと思っている人たちも確実にいると思うから、そこのチャンネルにはまるメディアとか情報伝達手段はなにかということを考えて仕掛けていくと。結果、それが将来の観光客、お客さんを呼んでくる関係にもなると思うんですよ。
アレックス:関連してきますね。例えば竹田の場合は、若者のアーティストにじゃんじゃん入ってもらっている。すごく成功している。このごろ、どの地方でも空家バンクというのがあちこちにあるんだけど、あまり積極的でないのね。多くの地方。あそこは非常に積極的で、オーナーと入っていきたい人との間に立って仲介していて、前もってオーナーからちゃんといろんなオッケーを取るんですね。自由に家が使えるように。それに、今度アーティストのコミュニティみたいなものがあって、類は友を呼ぶというか。3人、4人ではもう少しパッとしないけれど、10人とかになったらパーティーを持つ、飲み会がある、そしたらこんな楽しい町があるんだと、他の若者達がどっかで知って入ってくるんですね。そういう繰り返しで、竹田ならここでアトリエを持ちたいんだという人たちがだいぶ増えてきている。だから、そういうコミュニティづくりということも大事ですね。僕も初めて竹田へ行った時、アーティストの彼らは、それこそ書道家ですよ。借りている家の2階、普通の古い古民家の座敷、何もないごく普通の座敷でみな料理を持って来て、飲み物を持って来て、こんな楽しい町があるのかと、僕も逆に今度引きつけられたわけですね。だからそういうことも大事だと思うのね。
馬場:人は人を呼ぶんですね。
アレックス:そう。それも、三国はまだ始まったばかりで、そこまでいってないと思うけれども、今後それを目指していく必要もあると思いますね。
馬場:確かにね。
倉橋:魅力的な店が一つできると、それにつられて同じようなのが周りにできてくるというのは、たぶん全国どこにでも見られる現象だと思います。そういう意味では、このままではいけないというところから町家活用プロジェクトも始まったわけですが、何気ない空間とか生活が大事なんだけれども、新しい何かを三国に埋め込んでいくことも必要だと思っています。三国でのそれはどういう可能性があるとお考えでしょうか?
アレックス:ある意味で、なんでもいいんだよ。要は散歩しながら散策しながら、面白い店があればいい。それは靴屋でも、種屋さんでもいいんだよ。
馬場:種屋さんでもいいですよね。
アレックス:本当に。だから、昔のままの店もバンバンやってもらったらいい。さっきの木箱を残してくれたああいうお店は、しっかりやってもらいたいね。従来の商売を。それと、あまりこちらから決めつけるよりも、たぶん馬場さんがやっているような方向は分からないけれども、入りたい人の意向に委ねている方が大きいんじゃないですかね。分かんないけれど。
馬場:それを聞きながら、翻訳していく感じですね。
アレックス:そう。そしたら自然に面白いものができてしまう。こちらから、これはお菓子屋、ここは飲み屋というのを、あまり初めから指定しなくていいかもしれないね。
馬場:そうかもしれないな。そうですね。この建物を何に変えようというよりも、やる気のある人が来て、その人の話を聞いて、じゃあそれにぴったりな建物はこれだからこうみたいな、属人的な方がいいかもなと思いましたね。確かに、言われてみると。それの方が素直だし現実的だと思うんですよね。さっき不動産の話もありましたけれど、それを物件として仲介する人の能力とキャラクターが高いかですね。
アレックス:それが大問題で、竹田のそれをやっている人、市役所の担当者だけど、若くて魅力的な人なんですね。そしたら、たくさんの人がバッと来る。それはポイントの一つでもあるね。
馬場:そこの交渉が失敗したりすると、オーナーと揉めたりすると、それ以降悪い噂がバーッと流れるから、そこの仲介にものすごい能力とキャラクターがいる。そういう空き物件を活用して上手くいっているところには、スーパー不動産かスーパー行政マンがだいたいいますね。調整役として素晴らしいという。だいたいそういう人は能天気に明るい。でも、精密さを兼ね備えている人がなんかいますよ。三国は誰なんでしょうね。
アレックス:ひょっとしたら倉橋さんかもしれないよ。でもそれは大事ですね。入ってくる人たちと気が合うというのは大事だけど、オーナーですね。オーナーと、地元として直にいろんな話がスムーズに話ができるということが非常に大事ですね。
馬場:だいたい地方都市にいくと、空家はたくさんあるけれど空き物件が少ないということが多いんですよ。物件化していないんですよね。貸そうと思っていない。別にお金困っていないし、みたいな。なので、ただの空き家をちゃんとした不動産物件にまで仕立てるという技術がある人が実はすごく重要であることをすごく痛感します。佐賀でもめちゃくちゃ苦労しているんですよね。空き家だらけなんだけど物件じゃないという。
倉橋:やっぱり人なんですね。どうやって交渉するかとか。
馬場:そうなんですよね。ちょっと違う視点でいくと、アレックスさんがちょっとおっしゃいましたが、種屋さんでもいい。僕みたいな性格だったら種屋さんにもずかずか入っていけるけれど、普通は種屋さんにずかずか入っていけないんですよ。通りすがりにお店に入っていいんですよ、というオッケーのきっかけが何かあればいいと思うんですよ。そのへんの和菓子屋さんとか呉服屋さんとか、いきなりフラッと入れないですよね。
アレックス:そうですよね。その辺の店のオーナーがどこまで許してくれるかの問題なんだけど、ある程度のアドバイスとか振り付けは必要だと思うね。
馬場:そうすると退屈に歩かなくてすみますもんね。
倉橋:そういうことも含めてプロデュースできるような町の中の人、というか組織が必要なんですかね。
馬場:そうなんでしょうね。チームみたいなものが。そういうことができるのは、キャラクターとしては編集者だと思う。
アレックス:最終的には、種は種でそんなことやっていたら売れるよ。
馬場:そう思いますよ。
アレックス:ちょっと工夫してちょっと面白くしたら。
馬場:そうなんですよ。つい買いそうになりますもん。一個200円ぐらいしかしないから。
アレックス:それが入りやすい雰囲気で、どこかちょっと洒落た何か感覚を入れればね。
馬場:ポップでも書いてあって。「何月に植えてね」とか書いてあれば、おおって。そういうプチプロデュースをできる編集者がいるといいな。
倉橋:誰でしょうね。
馬場:誰でしょうね。その人材を見つけてチームワークするのがすごく重要ですごく楽しいと思います。
倉橋:そうですね。分かりました。さて、先ほどの話でもう一つ思ったのが、アレックスさんが北前船で繋げていくみたいな話をされていたじゃないですか。それがすごく面白いなと思うんですけれど。もう少し具体的に教えていただけないでしょうか。
アレックス:それを思いついたのは。「日本で最も美しい村連合」って聞いたことあります?町とか村しか入れないので、坂井市は無理なんですね。残念ながら。だから祖谷も入れない。三好市になりましたから。
アレックス:合併で駄目なんですね。だけど小値賀は入っています。
馬場:ああ、そうですか。入ってるんですか。
アレックス:岡山の新庄村とか、数十カ所入っています。もともとフランスの発想だったね。フランスの村。それが日本で、名前は忘れたけれど、あるお金持ちのスポンサーがついて、少し資金があって、彼らはいろんなきれいなパンフとかを作ってきています。例えば小値賀に行けば、美しい村連合のパンフを置いてあるわけですから、じゃあ岡山の新庄村に行ってみようとかいうことになるわけですね。今の時代は情報が早いから、そういう美しい村、景観に力を入れている村、そういうのを調べた人たちが結構そういうところを回って見るんですね。僕は経験がまだ全然浅いけれど、酒田、富山、能登、三国、どんどん小浜からずっと。もう一つうちが関連しているのは鞆の浦ですね、瀬戸内海の。そこも北前船ですね。だって瀬戸内を通ってこちらに回ってくる。もちろん瀬戸内の場合は北前船ばかりじゃないんだけど、それが大きかったんですね。だからそういうものとの、例えば北前船湊連合があったらどうかなと思うんですね。ここの町家館とか、あるいは隣の家の名前を忘れたけれど。
倉橋:岸名家ですね。
アレックス:岸名家とか、そういうものがきちんと市の資料館となっているけれど、何も三国だけじゃなくて橋立にもある、富山にもある、酒田にもある。関連を作ればとっても面白い。本当に北前船をほとんど僕は知らなかった。そういうものを少し回ることによって、楽しみがすごく増えた。日本文化というか、日本の歴史をちょっと違った観点から見ることができた。だけど、それは勝手に僕が自分で回っているだけで、それぞれの町とか湊が全く無関係。
馬場:北前船で栄えた町の特徴としては、ある時代に圧倒的に栄えたじゃないですか。だからある時代のいい建物が集中的に残っているエリアが多いんです。山形、酒田もそうですよね。なんか立派な蔵があったりとか、魅力的。なので、通底する何かの魅力があるはずですよね。
アレックス:立地だと思う、とにかく。豊かだったから、龍翔館みたいなすごい豪華な建物ができたり、それぞれの花街だってすごいよ。花街もほとんどおろそかになって何も手をつけてないけれど、建物が素晴らしい。そういうものがそれぞれの町に全部あるし、また、必ず豪商のお屋敷、そういうものがきちんとそれぞれ残っているし、町並みはまあまあきれいに残ったところがあるわけですから、それは北前船ストーリーというのは、三国が一つ主導権を握るというと言い過ぎかもしれないけれど、リーダーシップつかんで何かやりましょうということをやりだしたら、他はついてきてくれるかもしれないね。今は誰もそんなことしようとしていないから。
馬場:これは結構大きいヒントかなと思ったのは、美しい村連合もすごい企画だなと思って見てたんですけれど。あと幾つか、これはと思ったのが、「日本秘湯を守る会」というのがあるんですよ。ご存知の方が結構いるかもしれないですが、日本中の秘湯ばかりを集めているマニアックな、朝日新聞か、朝日旅行社のたぶん名物編集長が独断と偏見で指定しているっぽいんですけど、それに載っていることによって、あるクオリティみたいなものが出ていて、日本の強い世界観みたいなものが出ていたりするんですよね。要するに、バラバラかもしれないんだけど、それを何かでつなぎ止めた瞬間に世界観が表現できるみたいな感覚。いきなり大きい話をすると、スターフライヤーとか上手いなと思いました。バラバラの航空会社なのに、それをまとめた瞬間に登録されたところにクラスが高いみたいな不思議な感覚があるじゃないですか。北前船ネットワークみたいなもの。それが語って登録され始めた瞬間に、ある種の世界観がブワッと物語が浮かび上がる可能性があるな、確かに。誰かが言い出さなきゃ。
倉橋:そうですよね。酒田に行くと越前瓦が使われていたり、福井で取れる笏谷石が使われていたりするんですよね。そういう意味で目に見える形で繋がりって実はあるんだなということは僕も感じています。
馬場:僕、実は昨日、鳥取から来たんですけれども、日本海側だから近いかなと思ったら、大阪経由なんですよね。鳥取から来るのに。あれ、こっち行くの、みたいな。だから、交通という意味ではひずんだ日本だなと思ったんですけれども。だから、どれだけ日本海側が意識の中で断絶されているか。昔は北前船で繋がっていたのに、今はどれだけ断絶されているのかが分かりますよね、やっぱりね。これ、言い出した方がいいんじゃないですか。三国が。
倉橋:そうですね。さっきR不動産の方と、金沢から橋立の方を通って三国まで船で来る、と。三国で泊まるみたいな、そういう北前船の航路を使った贅沢な旅というのもすごい目玉になるんじゃないかとも話していました。
アレックス:あっていいですね、本当に。
倉橋:もう少し話したいんですけど、すみません。もうそろそろ時間が来るので、最後にもう一度三国に対して、これから三国の可能性、将来どのように三国を形作っていくのかを一言まとめていただきたいなと思います。
馬場:そうだな。今の話から明らかになってきたのは、その推進するチームワークみたいなものが結構重要なのかなと。今、いろんなキャラクターがすでにいらっしゃるだろうけれども、オーナーを口説く不動産的なキャラクターとか。プレゼンでも言ったけれど、メディアが重要なような気がするんですよね。三国の魅力をどういうふうにして社会化していくか。それは本かもしれないし、マップかもしれないし、なんかウェブサイトじゃないような気がしますけれど、何か分かりませんけれど、バラバラにある三国の魅力を上手に編集して一つの世界観に編めるようなキャラみたいな人が必要だろうし、もちろん行政を巻き込んでいくようなキャラも必要だろうし。熱い人達がたくさんいるのは昨日でも十分分かったりしているので、それをいいチームワークと、そのドライブのさせ方みたいなものですね。あと、そうか。マネタイズが上手い人ですね。こういう事業であったりするとある程度の収益があってこういうふうに回っていくとかというようなことを考える人。そういうようなところがガチッと固まれば、これだけのポテンシャルがあるので、自走していくような気がして仕方がないなと思って聞いていました。
倉橋:ありがとうございました。
アレックス:基本的に同じことなんだけど。一つくれぐれも景観に対して、坂井市の方にも理解を得て、景観規制だとか、それをきちんとやっぱり守らなければいけない。ある意味で、かなり際どいところまできていると思うんですね。この北前船通りはいいとは言いながら、結構壊されたりとか、変な建物が出来たりとか、見苦しいものがなくはない。ある。増えている。それは、今の時点である程度止めておかないと、ある線を越えたら、例えば森田銀行だけ残った、田中薬局だけ残った、それではお客は楽しみがない。一括した一つのある程度きちんと守られたエリアが残らない限り、非常にやりにくいんですね。それはやっぱり、これは大きな課題だと思うね。夕べホテルに泊まったんだけども、たまたま今朝、町屋館に行こうとした時にびっくりしたね。すごく散歩する人が多いんだよ。観光客来てるんだよ。こんな寒い時期に。まだ春なら分かるけれども、こんな時期に。おばさん連中がぞろぞろ、本当に十何人ですよ。僕がちょっと通りすがっただけで、あれだけの人が来ていて。でも彼女たちの顏を見ると、どこへ行けばいいのかという感じですね。つまり店が足りない。だから、テナントを入れる、何でもいいからアトリエでも店でも、とにかくお客が自由に入れる、買い物できる、座ってお茶でも飲める。そういうものがやっぱり必要で、その活用。だから、景観をきちんともう少し。今はどちらかというと甘いんだね、景観に対する思いが。それをきちんと守らなければいけないことだという認識のうえで。同時に活用よね。お客は意外とすでに来ているんだなということだと思うね。だから、その客はほとんど何も買い物も何もできないまま帰してしまったことになるんですね。今日の彼女たち。帰さないで引き止めて、お金を落としてもらう方が、この町のためになるんでね。それがこれからの仕事の一つでしょうね。
倉橋:ありがとうございます。これから自分たちのやらなくちゃいけないことがたくさんあるなということを感じました。すみません、会場からの質問も受けたいところなんですが、お時間の関係で割愛させてもらいます。本当にありがとうございました。
馬場:ありがとうございます。
アレックス:ありがとうございました。