三國湊町家PROJECT
Interview #1 平野茂さん・希和子さん

子どもを安心して育てたい。
ストレスの少ない暮らしを求め、三国へ移住。

昔ながらのお店が並ぶ上ハ町商店街。
この通りの一角に「平野写真館」はあります。
2代目を継いだ平野さんご夫妻は、
東京でカメラマンとライターとして活躍していました。
第一線で働いていた二人が、なぜ三国で暮らし始めたのか。
秋風が心地よい日に、お話を伺ってきました。

# 三国で働く

東京と三国では被写体が違う。
子どもを撮ることが、面白くなってきた。

優しい眼差しでファインダーを覗く茂さんと、爽やかな笑顔で場を和ませてくれる希和子さん。白を基調とした明るいスタジオが、お二人の仕事場です。壁には七五三や誕生日など、子どもの記念写真が飾られています。

「東京にいる頃は、あまり子どもを撮りませんでした。モデルや有名人など、被写体もプロだった。けれど三国では、被写体はみんな素人です。それで自分の勉強のためという意味もあり、最初は保育所に売り込みました」

茂さんは高校卒業後、三国を離れ日大芸術学部へと進学。その後、フリーのカメラマンとして、大手出版社の雑誌や広告などを中心に活躍してきました。しかし、写真館の仕事は地域密着型。これまでとはジャンルの違う世界です。そこで、勉強のために保育所に出向いて子ども達を撮らせてもらいました。やがて平野さんの写真を見た父兄から、七五三や誕生日撮影を依頼されるようになります。

「子どもは投げかけた言葉にダイレクトに反応する。子どもを撮ることが面白くなっていきました」

子どもをあやしながら、楽しそうにシャッターを切る平野さん。今では、地元の学校や保育園のアルバム撮影を手がけるほか、赤ちゃんや家族写真など、三国の人たちの記念写真を数多く手がけています。

# 三国へ移り住んだ理由

きっかけは東日本大震災。
原発事故が暮らしを変えた。

東京から三国へ、移住のきっかけは東日本大震災でした。地震後の混乱のなかで起きた福島の原発事故が、平野家の未来を大きく変えます。

何が真実か分からない報道、原発事故による放射能の影響への不安。子どもの体内に悪い空気、悪い食べ物を入れたくないという想いから、食材の産地を細かくチェックする毎日でした。

「これが、いつまで続くのだろう」

様々な葛藤が大きなストレスとなり、東京を離れることを考え始めた時、移住先として浮かんだのは三国でした。毎年お盆と正月に家族みんなで帰省する湊町。アウトドア派の平野家にとって、自然豊かな三国町は大好きな土地でした。特に子ども達は海が大好き。夏は海で素潜りして遊びます。好きな食べ物は魚。三国に住めば美味しい魚をたくさん食べられます。

「三国がなかったら、東京を離れなかったかも」

茂さんはフリーランスのカメラマン、実家は写真館。三国なら、仕事を続けることができます。そして、長女は小学校6年生。教育環境を考えると、引越するなら今しかないというタイミングでした。震災があった年の夏休みを三国で過ごし、秋には移住を決意。長女の中学校進学に合わせて、2012年春に三国へと移りました。

「長女は猛反対でした。東京の友達とも離れたくなかったのでしょう。入学から二ヵ月間は馴染めませんでした。けれど部活動を通して、少しずつ面白くなったようです」

三国中学校には、福井県でも唯一の「郷土芸能部」があります。笛や太鼓など、伝統芸能を練習する部活動は、祭り文化が根付いた三国ならでは。東京では経験できない活動を通して、少しずつ三国に馴染んでいきました。

「三国は東京に比べ、子どもが活躍できる場が多い気がします。楽しいことがいっぱいあるんじゃないかな」と希和子さん。三国は子育てに良い環境だと日々感じているそうです。

締切に追われない仕事がしたい。
心に余裕のある暮らしを選択。

希和子さんは、東京生まれの東京育ち。大手出版社の雑誌でライターとして働き、仕事を通じて茂さんと出会い結婚。出産後も仕事を続けていましたが、子育てとの両立に、病を患った母の看病も重なり、多忙な毎日を送っていました。いつも時間に終われ、いつも走っている。そんな日々に疲れ、「締切のない仕事がしたい」と思うようになっていきます。

書籍の編集やパリコレ取材など、大きな仕事を手がけたことで仕事に区切りがつき、ライターを辞めることを決心。着物が好きで、ライター時代に師範代の資格を取っていた希和子さん。以前から興味のあった着物の世界へ飛び込みました。

大好きな着物屋に出会い、メディアで働いていた経験を生かしてプレスを担当。そのほかにも、デパートで着物関連の仕事に携わったり、時にはキャバ嬢の着付けをしたり。アルバイトでしたが、着物の仕事を通して自然体で暮らすことの大切さに気付きました。こうして仕事環境や暮らし方が変化したことは、三国へ移り住むことを後押ししました。

現在は、写真館のアシスタントが希和子さんの仕事。資格を生かして、和装写真では着付けも担当します。また、着物コーナーを設けて、自身が関わってきた着物ブランドを紹介。自然体の暮らしや粋でモダンな着物スタイルは、情緒あふれる湊町によく似合います。三社祭や神田祭など、東京下町の祭りに参加するほど祭り好きな性格も、三国にぴったり。来るべき人が三国にやってきてくれました。

# 三国のいいところ

海に夕日が沈む。
当たり前の景色が、貴重なものだった。

海や森がすぐ近くにある、自然豊かな暮らし。三国を離れたおかげで、学生の頃は気付かなかった美しい風景に目がいくようになった、と茂さんは語ります。

「海に太陽が沈む。三国では当たり前の光景も、都会では見ることができない貴重な瞬間です。当たり前だと思っていた景色が当たり前ではないと気付き、風景写真も撮るようになりました」

天気が良い日の夕暮れには、カメラを片手に海へと出かけます。自然だけでなく歴史遺産や祭り文化など、三国らしさを写真に残したい--。仕事の合間をぬって撮影に出かけ、フェイスブックで写真を公開しています。茂さんの写真を見て、地元の人が三国の魅力を再認識することも少なくありません。三国の魅力を発信することが、茂さんの楽しみの一つになっています。

# 三国での暮らし

三国を田舎だと思ったことはない。
独特の文化の薫りが漂う町。

「東京の友人からは『そんな田舎に引っ込んで』と言われるけれど、三国を田舎とは思っていないんだよね。歴史や文化が深いからかな。独特の文化の薫りがする。都会の慌ただしさも、田舎臭さもない。バランスがとれた町だと思うの」

希和子さんは三国の印象を、こう語ります。それは、古くから川湊として栄え、人や物が行き交った湊町の気質なのかもしれません。祭りはもちろん、地域イベントが頻繁にあり、ご近所と顏を合わせる機会が多いのも特色です。

「商工会や婦人会、子ども会などいろんな組織がある。最初は面倒だと思っていた地域活動も、同世代や同感覚の人に出会える貴重な場だと分かってきた。地域の繋がりがしっかり根付いていているから、誰も孤独にならずに暮らせるんだろうね」

地に足をつけて、心穏やかに、自然体で暮らすことができる町。平野さん一家が三国で暮らす理由は、そこにあるようです。だからこそ、焦らず無理をせず、自然な流れで湊町に馴染んでいきたいと話してくれました。

平野写真館
福井県坂井市三国町北本町3-4-37
営業時間 9:00〜18:30
水曜定休
TEL 0776-81-2727
website http://blog.goo.ne.jp/happymoments
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